雲をつかまない話

 年を取ってくるとよく雲を見るようになった。若い頃は「ああ雲があるな」「あの雲の形は○◎に似てるな」「でも何かに似てる雲なんてそんなにないよな」程度の感想しか持たなかった。

 不惑をすぎたあたりから、やっと雲の面白さに気づいた。なにしろ巨大だし、時々刻々と変化する。そこらのちまちましたアートより見ていてずっと楽しめる。おまけにタダときたもんだ。家族と外に出るとまず空を見上げ、なにがしか感想をいうのが常になった。ほとんど聞き流されるが、たまに面白い雲があるとそれで話が続いたりする。

 

 上野の西洋美術館へ『ハンマースホイ展』を観に行った時、当日券を買う行列に並ぶ間、ずっと雲を見ていた。空は青いというのに、今にもちぎれてぼたぼたと落ちてきそうな一塊の巨大な雲が、空を低くゆっくりゆっくり横切っていた。歌にある「空飛ぶクジラ」というのが本当にいたら、ああした雲をまとっているんじゃないかと思えた。

 ハンマースホイの描く女性のうなじと陰鬱な家具の群を見た後、外に出るとまだその雲は空にあって、こちらにゆうゆうと尻を向けていた。おかげで絵よりも雲の方が印象に残った。

 

 家族を車に乗せて仙台に行く途中、高速道の彼方にロケットの発射台のような雲が見えた。

「あれはカナトコ雲かなあ。あの下あたりはすごい雨だ」

 妻も娘もさっぱり相手にしてくれなかった。なにしろ外はとてもいい天気だったし、そんなことよりポンコツ軽自動車の振動と騒音の方に気を取られていたからだ。

 足がくたびれるほどアクセルを踏み続け、件の雲にどんどん近づいていった。それとともにあたりは薄暗くなり、ついには大粒の雨が降り出した。ワイパーをめいっぱい動かしても追いつかないくらいの降りだ。

 妻は「だいじょうぶ?だいじょうぶ?」と不安げだったが、娘は後部座席で寝ているようだった。「そのうち抜けるからだいじょうぶだよ」とかまわずとばし続けた。最初から来るとわかっていれば、それほど問題のようには思われない。

 やがて雲を抜けて雨がやむと、娘が起き出して「パパの言う通りだったね」と笑った。なんだ寝てなかったのか。

 バックミラーの中に雲がどんどん遠ざかっていくのが見えた。

 

「雲は天才である」というのは石川啄木のお話だ。もしかして、この年でやっと啄木に追いついてきたということか。いや、別に追いつきたいと思ったことはないが。

 若いうちはなぜその面白みに気づかなかったのか、と今にして思うが、逆に考えれば若いうちから空ばっかり見上げているようなのはろくなもんじゃない、とも思える。啄木は借金を繰返し、周囲の人間に不義理ばかりを重ねてそそくさと死んだ。言語学者の金田一京助が何くれとなく面倒を見ていたが、息子の金田一春彦の思い出によれば、啄木が来ると次の日から生活が貧しくなるので「石川だから五右衛門の子孫かなんかだろう」と思っていたそうだ。当たらずとも遠からず、といったところか。

 

 幾日か前に細長い雲が延々と空を横断しているのを見た。その他に雲はなく、まるで空の縫い目のようだった。初めは飛行機雲かと思ったが、それにしては高度が低く、なかなか消えない。それとも飛行機ではない何ものかが駈け去っていった後だったのだろうか。

 一緒に見た娘にも強い印象を与えたようだ。あれから幾日もたつのに、「あの時の雲は何だったんだろうね」と話しかけてきたりする。娘は今年十四歳になった。早いもんだ。

 

不来方のお城の草に寝転びて

空に吸われし

十五の心

(石川啄木)

 

 盛岡城に残る歌碑は金田一京助の字によるものだ。

 

 

雲は天才である