家政婦は見たかも知れないが女中が見たりすることはなかった

 画像は昭和十一年に刊行された、主婦向けの上手な家事のやり方です。当時のベストセラーで、奥付を見ると一年後には五版まで出てます。

 こうした家事のマニュアル本みたいなのは江戸時代からあって、そんなに珍しいものではないし、また古書価もそれほど高くはなりません。

 ただ、戦前の家事の本には、現代の家事本には絶対に載ってない項目があります。それは……

 

「女中の扱い方」

 

 うはー、いきなりですね。画像の本だと「使用人」になってますが、意味は同じです。てか、ある意味こっちののが強烈か。

 現代でも家政婦とかホームヘルパーとかありますが、全然意味合いが違います。家政婦はテレパスだったり事件をミタり名推理をしたりしますが、女中はうっかり目線をあげることもできない存在でした。え?メイド?あれは喫茶店にいるものでしょ?

 とにかく昔は、家庭を持ったら多少貧乏でも普通に女中を雇いました。それが家政を与る主婦の努めだったのです。作家なんかでも、けっこう貧しい暮らしなのに家に女中がいたりして驚かされます。しかも家計が苦しいと女中に借金したりしてる。女性の権利を高らかに謳う青鞜の方々ですら、家に帰れば女中を雇ってたりしました。なんかもう、パソコン買ったらとりあえずブラウザの設定を変えるくらいに普通で自然なことだったようです。

 

 戦後、女中は「お手伝いさん」と呼び名を変え、徐々にその在り方を変えていきます。まず、賃金が高くなってきて、待遇の改善が言われるようになりました。

 それについては遠藤周作がエッセイでぶつくさ書いてました。「最近は女中を募るのも一苦労だ」「やたら給金を高く言う」「住み込みなら個室を用意しなくてはならない」「個室に女中用のカラーテレビをつけろという」「プライバシーとやらを尊重しなくてはならない」などなど。そうした女中のあれこれを材料にした短編も書いていました。田舎から出てきた偏屈な女中が、都会のあれこれにとまどいながら真面目に働くうち、雇い主の奥様から「お金の面倒は見てあげるから学校にお通いなさい」と言ってもらえるというお話。私も「戦後民主主義」とやらの申し子なので、「なんだか気持ち悪い話を書く人だなあ」と思ったもんでした。その後、『沈黙』や『黒ん坊』を読んで評価を改めましたが。

 そして、高度成長にしたがって住み込みでは応募が少なくなり、通いの「お手伝いさん」が普通になってきます。「サザエさん」にも、近所のお金持ちのところでお手伝いさんをする話が出てきますね。

 

 現代ではどうでしょうか。そうとう大きな家でも住み込みの女中、じゃなくてヘルパーさんなんかいないんじゃないでしょうか。そりゃ赤の他人がずーっと同じ屋根の下にいるとか、なんらかの複雑な事情でもない限り、いやだなあと感じるのが普通ですわな。

 大きな旧家なんかは、家の中に張り巡らされた廊下と部屋の境に段差があったりしますが、あれは女中はその部屋に入れない、って意味なんです。女中は段差のない部屋だけ入れる。大晦日の大掃除と婚礼の日は例外だったそうですが。

 

 とにかく、昔の主婦の「家事」の中には、「女中を雇う」ということが普通に入っていたわけです。

 それがなくなったのは、経済的な事情もありますが、「主婦」というものの在り方が変わり、それにともなって「家」というものも変わった、ということがあるのでしょう。

きょうの猫村さん 1

女中がいた昭和 (らんぷの本)