落ちてこないぼたもちに念のための追記

 えーっと、昨日の追記です。

 話が込み入るのではぶいたんですが、やっぱりもう少し書いといた方が良いかな、と。

 

 昭和八年という年は、昭和六年の満州事変と昭和十一年の二・二六事件の間に挟まれた、転換期のような年です。

 これまで日本は金輸出解禁に伴うデフレに悩まされていて、大蔵大臣の高橋是清は人為的にインフレ(今でいう「リフレ」)を起こします。金の再禁輸と政府支出の日銀引き受けですね。日銀のは、よくいわれる「禁じ手」ってやつです。

 これによって日本は世界に先駆けて不況から脱し、「繁栄の孤島」と呼ばれたりします。

 ただ、この好景気は高額所得者のみに恩恵をもたらし、貧困層はより一層貧困になりました。高橋是清は、累進課税による増税を「左翼を喜ばせるだけだ」という理由で見送ります。しかしインフレが進んでも、間接税による税収は期待したほど上がりませんでした。

 インフレから生活を守ろうとした米穀統制法(これまでの米穀法をもっと価格統制的にしたもの)は、豊作期にむしろ逆行する働きをしてしまい、政府では減反政策が取りざたされます。ところが翌年とその次の年、はからずも凶作となり、政策とこの法律が災いして農家の収入はがた減りします。娘を売るばかりか、餓死者が出て、北陸では人肉を食べる事件も起きました。

 このインフレは太平洋戦争の遠因となり、戦後の悪性インフレまでつながります。

 高橋是清は、よく知られるように、二・二六事件で殺されました。

 画像の小冊子は、そんな時代に付録としてまとめられたものですが、昨日抜き書きしたように、インフレについて今日びの経済評論家よりきちんと書いてますね。景気研究所の人はちょっとかわいそうでしたが。

 まあ、政府の方で「これからインフレにするぞー」と言ってくれてんですから、その点ではラクだったかも。

 

 ただ、この「リフレ」は軍需によるものだったのでした。軍の「暴走」と呼ばれるものは、当時の経済的要請からきてるのかもしれません。あ、ひょーろんかみたいなこと言っちゃった。てへぺろ。

リフレと金融政策 高橋是清 ―日本のケインズ その生涯と思想