プレゼントは常にうれしいものとは限らないということについてPart2

 バレンタインデーですね。

 自慢じゃありませんが、バレンタイン・チョコというものは、人生で二回しかもらったことがありません。もちろん、二回とも義理。ちなみに妻は一度もくれませんね。まあ、ホワイト・デーにお返しするのも鬱陶しいんでかまいませんが。

 今朝方娘が登校間際に、「あ、今日バレンタインだっけ」と言って、冷蔵庫からほいっと包みをくれました。

「ホワイト・デーお願いね。『愛』以外で」

 成長したのう……

 

 バレンタインを「お菓子屋の陰謀」とくさすのは、昔からよく耳にするところです。

 でもそんなこと言い出したら、土用丑の日にウナギは食えなくなるし、七五三だって祝えません。与謝野晶子は「七五三なんか、呉服屋が儲けるために始めたんだから」と言って、子供たちにお祝いしなかったそうです。

 

 ところで、皆さんお忘れのことと思いますが、「サン・ジョルディの日」というのがありました。今もあるんだっけ?まあいいや。念のために書いとくと、「気になるあの人に『本』を贈ろう」という、誰が考えてもすごく無理のある日でした。

 バレンタインが成功したのは、「贈る物が決ってる」からですね。何も考えなくていい。そして、「だぶっても迷惑にならない」というのも重要なポイントです。

 本はそれこそ「種類」が多様すぎるほど多様ですし、自分が持ってる本をもう一冊贈られても迷惑なだけです。それに、相手の好みというものもあるし、読書家なんて人種はまず、他人が買った本なんか読みやしません。なので、本をもらっても嬉しがったりしません。難儀やのう。

 チョコと違って本を贈るのは、考えなくちゃならないことがあり過ぎるんです。

 

 プレゼント向きの本なんてのは、今どのくらいあるのでしょう?

 自己啓発本の類いは、贈ったりしたらほとんど失礼に当たりますね。なんか、贈る相手を見くびってるみたいで。

 きれいな絵本なんかいいかもしれません。海外物の豪勢なとび出す絵本とか。しかしこれも、贈る相手を選ばないと失礼になりかねません。

 無難に古典の名作とか? いや、実はそれ全然無難じゃないです。うざいと思われる可能性大。だいたい自分が感動したからと言って、他人もその感動を共有してくれるとは限りません。というか、「感動」というものは、押し付けられた時点でその効果が九割くらい失われます。

 で、結局図書カードなんかに落ち着いたりしちゃうんですよね。

 子供だって、親が与えた本を喜んで読むのはせいぜい十歳くらいまでです。あとはもう、宮澤賢治の童話だろうが星新一のショートショートだろうが、親が勧めた時点で読みたがらなくなります。困ったもんだ。

 

 本をスマートにプレゼントするなら、相手の目の前で本を読むか読んだ本の話をして、相手の興味が向いたようならその本を「貸す」ことです。

 そして、そのまま返す催促をしない。

 昔から「愚か者が貸すのは、金と傘と本」と言われてまして、貸した本はまず戻ってきません。貸してそのまんまにしてしまうのが、本をプレゼントするスマートなやり方でありましょう。

 

 

毒入りチョコレート事件【新版】 (創元推理文庫)