幸せはラーメンの湯気の向こうにあったのです

 へたくそな広告コピーみたいなタイトルだけど、子どもの頃「ラーメン」を食べるということと「幸福」とは、はっきりイコールで結ばれていたと思う。

 とにかくおやつにラーメンが出てくれば、それだけで自然にニコニコしたものだ。

 それがインスタントラーメンで、余計な具なんかのってなければ尚のこと幸福だった。みんな恥ずかしいから黙っているけど、けっこうこういう人は多いんじゃないだろうか。日本人の幸福感は、子どものうちに何杯ラーメンを食べたかで決るのかも知れない、なんてね。その代わり健康と味覚が破壊されるけどさ。幸福には常に代償がつきもの、ってわけです。

 

 印象の残るラーメンの記憶は、五歳頃までさかのぼる。

 当時保育園に通っていた私は、ある朝給食室に潜り込んだ。たぶんかくれんぼでもしてたんだと思う。保育園で給食を作っていたおばさんは昔からの知り合いで、本当は入っちゃいけない給食室に、時々こっそり入れてくれた。その朝おばさんは、それが朝ご飯だったのかよくわからないが、チキンラーメンを作っていた。「みんなにはないしょやで」とわけてくれたチキンラーメンの美味かったこと旨かったこと。このようにして、チキンラーメンは私の最初期味覚記憶の上に強烈にインプリンティングされたのだった。

 

365日チキンラーメンの本

 

 大学時代、徹夜でゲームセンターのバイトをしていたとき、店の前にラーメンの屋台が出ていた。寒い晩など、そこにラーメンを頼むと、店のカウンターまで「出前」してくれた。屋台を引いていたのは気のいいおっちゃんで、何度か注文するうちに「特製ラーメン」を作ってくれるようになった。普通のラーメンの値段で、おろしニンニクだのマムシエキスだのネギ炒めチャーシューだの、ごってりとのっけてくれるのだ。いやもう、美味かったこと旨かったこと。今まで色々なラーメンを食べてきたが、あの時のラーメン以上の味に出会ったことがない。

 屋台のおっちゃんは自分のことを「もと建て売り住宅のトップセールスマンだったけど、酒と馬ですってんてんになった」と言っていた。本当かどうかはわからないが、住宅セールスで「ミッキーマウスのぬいぐるみを集めてるおばさんは落としやすい」等の体験談は、妙に真実味があった。そして、「今はサラ金から逃げてる最中なんだ」とちょっと他人事みたいにつぶやいた。

 正月休みをはさんで、年明けにゲームセンターに行くと、屋台はなくなっていた。

 正月の間にシフトしていた同僚に尋ねると、大晦日にガラの悪いのが何人も来て、ずーっと取り囲んで騒いでいたらしい。

 それから二度と屋台は来なかった。

 

 

トーキョーノスタルジックラーメン―懐かしの「東京ラーメン」完全ガイド  

 

 そうそう、西荻窪では、「まる家」というラーメン店がおすすめです。

 骨折した時、最初の病院で店主に声をかけられたので、治ったら顔出さないとなあ、と楽しみにしております。