文学を読むととてもいいことがあるわけじゃないんだけどね

だめだこりゃ (新潮文庫)

 

 

 上掲の『だめだこりゃ』といういかりや長介の回想録(?)の中に、荒井注がドリフをやめたいきさつが出てくる。

 視聴率50%(!)という数字をたたき出した絶頂期に、なぜか「じすいずあぺん!」の荒井注は「辞めたい」と言い出す。

 

………… 私には彼の人生哲学が理解できなかった。ドリフターズは、これからもっともっと大きくなるところだったのだ。

 そういえば、荒井が稽古の合間、芥川龍之介の箴言集を真剣な表情で読む姿があった。彼の部屋には本棚があって文学作品がずらり並んでいた。太宰を読み、三島を読んでいた。ドリフに加入する前、勉強をし直すってんで、二松学舎大学へ通い直して文学を勉強してちゃんと卒業した男だった。

 荒井の見つめる人生は、私や加藤や仲本が見ている人生と別の形をしたものだったのだ。文学をやるヤツの考えることはわからない。私は文学好きな人に会うと荒井とダブらせてしまう。畏敬というか、不可解というか、私とは違う人生を目指している人なんだと思うようになった。

…………

 

 その後、皆さんご存知の通り、それまで見習いだった志村けんが正式にメンバーとなり、ドリフはさらなる絶頂を迎えるのだ。

 しかし、もしあの時荒井注が辞めなかったらどうなっていただろう?……というような凡庸な憶測は置いといて、荒井注という「人」に、あらためて興味がわいてくる。荒井注はいかりや長介より年長で、文学に限らず、芸術や歴史などの知識は「荒井から教わった」と回想している。

 でも、なんかわかる。文学を読む、ということはそういうことなのだ。

 

 文学を読むことは、とりあえず「悪いことじゃない」ことになっている。しかし、なんとなく世間では「文学を読んでいる」ことを公言しづらい空気がある。まあ、そりゃそうだろう。文学なんか読んだからって、お金が儲かるわけじゃないし、出世できるわけじゃないし、女の子にモテモテになることなんかありえないし、心が落ち着くわけでもないし、コミュニケーション能力がぐんぐんアップすることもないし、国家の未来について語りたくなったりしないし、部屋がきれいになったりしないし、簡単にやせたり背がすいすい伸びたり赤面症が治ったりするわけでもない。

 文学を読むと、どういうことが起こるだろう?

 文学を読むと「平気」になる。

 何がどう「平気」なのかは、文学を読んでる人ならわかると思う。とにかく「平気」になる。

 きっと荒井注はドリフをやめた後、いろんな人からいろんなことを言われただろう。でも荒井注は「平気」だったと思う。

 この本には、本当にとんでもないごたごたについてはいっさい書かれていない。

 だから、荒井注が辞めたいきさつも、実はもっと外のことがあったかも知れない。

 でもやっぱり荒井注は「平気」だったんだろう。そして、いかりや長介はなんで荒井注が「平気」なのかよくわからない、ということなのだ。

 

 

世界最高の日本文学 こんなにすごい小説があった (光文社新書)

 

 ところで、ドリフ解散後、一番光ったのって、やっぱ高木ブーだよね?