「じゃあ死ねば?」なんていっちゃあいかんのですよ

 ある春の日の昼食どきに、芥川龍之介が訪ねてきたことがあった、と野上弥生子は回想する。
 芥川は痩身に黒い帽子と黒いマントをまとい、「ビアズリーの絵の」ようななりで勝手口から入ってきたという。

 その日はたまたま夫の野上豊一郎もひまだったので、芥川とずいぶん長話をした。芥川はなんだか頭がはっきりしない様子で、心身の衰えを嘆き、日々の生活の愚痴をこぼした。どうにも金が足らないという。

 そのなんともやりきれない様にやや腹が煮えたか、野上弥生子がわきから口を出した。

…………

 

 その時私は云った。

——芥川さん、そんなにお金が欲しければ、大いに儲かる方法を教えてあげましょうか。

——何です。

——あなたがお亡くなりになるのよ。自殺ならなお結構ですわ。

 

…………

 そしたら「芥川龍之介全集」が出ることだろうから、全集の印税がたんまり入ったところで生き返ればいい、と。もちろん冗談である。三人は「そりゃあいい」とおもしろがった。

 が、それから十数カ月後、芥川は本当に自殺し、全集は刊行された。

 ちなみに、芥川は自殺する一年前に芸者と帝国ホテルで心中しようとして、女帝柳原白蓮に現場を押さえられている。上記の会話がこの事件の後なのか前なのかはわからない。

  しかしまあ、こういうことをさらさらとエッセイに書いてしまうものなんですな、作家という生き物は。

 早々と死んだ芥川龍之介とは反対に、野上弥生子は九十九歳まで現役の作家として活動した。代表作『秀吉と利休』『海神丸』はロングセラーとなり、晩年でも大学教授の息子(イタリア文学者野上素一、『神曲』の翻訳などで知られる)よりも高収入だったという。

 

 

野上弥生子随筆集 (岩波文庫)