それは死と呼ぶことすらなまぬるい

フランシス・ベーコン BACON

 

 人間の眼というやつは、実は100万画素くらいの能力しかない、ときいたことがある。それなのに自分の目より高性能のカメラの画像を「いまいち」のように受け取ってしまうのは、脳の方で多大な修正を行っているからだ。そして、その修正は、自分に近しいものほど強くかかる。

 だから、あらゆる動物を見るなかで、人間は「人類」を見る時に一番強烈な修正をかける。ゆえに、本当の姿の人間を「見た」ものは、ほとんど存在しなかったし、ましてやそれを絵に書き付けることなど不可能だった。

 なぜなら、絵もまた脳で描くからだ。

 フランシス・ベーコンは、「絵筆を動かしているうちに、自分が何を描いているのかわからなくなる」という。

 そうして描き出されたものは、今まで見たこともない奇怪なものでありながら、どこかで目にしているような、なぜか慕わしいもののような、そんな気分にさせられる。

 

フランシス・ベイコン 磔刑―暴力的な現実にたいする新しい見方 (作品とコンテクスト)

 

 えー、一昨日念願のフランシス・ベーコン展に行ってまいりました。最初の展覧会から二十ウン年ぶりか。

 初見のものも多く、またベーコンにインスパイアされたという土方巽の舞踏や、ウィリアム・フォーサイスのダンスが見られたのがうれしかった。両方とも大好きなんで。

 しかしまあ、お約束とはいえ、土産物コーナーでベーコンの絵柄のスマホカバーが売ってるのはどうかと。昔、エゴン・シーレのテレフォンカードが売ってたり、ムンクの「叫び」のパンチングドールが売ってたりしたのを見てうんざりしたもんですが、こういう流れって、もう留まることがないんでしょうな。「叫び」なんか、もうすっかりアイコンとして日常に定着してるし。狂気って、いつから消費可能になったんだ。

 今回、愛人ジョージ・ダイアをモデルとした絵の実物が見られたのは収穫だった。愛人がジョージ??と訝る方もおられるだろうが、まごうことなく男性である。しかも、ベーコンのところに空き巣に入ったところを押さえられ、「愛人になるなら警察には突き出さない」と脅されて(?)同居するようになったという。ほんまかいな。

 晩年のベーコンに一番身近な存在の愛人を「無修正」で描き出し、愛人が死んだあとは自画像を多く残した。もちろん「無修正」の。

 そして、ベーコンの自画像を見た後、しゃべるベーコンを見ると(館内でインタビューが上映されている)、「なんてそっくりなんだ!」と驚愕してしまうのだ。