「南帝さん拝謁記」つづき

吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件 (学研新書)

 

昨日のつづきです。

 

…………

南帝さん 

 

 しかし、熊沢氏や吉田氏、そして女官長池永女史の口吻で、ほぼ察しはついてくるのであった。即ち、右大臣でもあろう大学助教授の言葉を借りれば、彼等は彼等なりの大義名分をもって、現南朝の忠臣を広く傘下に集めんとしているのだった。それには、新憲法で保証だれた言論の自由があり、出版の権利がある。彼等は五百有余年の往時に想いをはせ、近世に誤り伝えられていると云う歴史の修正を念願としているというのであった。いつぞや読売紙の希望探訪に、三種の神器の実在に関した記事が出ると、熊沢天皇は早速新聞社を訪れ「現皇室にある筈も無し」と、大見得をきったようだが、これもある意味のゼスチュアと解されるべきであろう。

 つまり高杉は、池永女官長の推挙により、南朝の忠臣候補者に選ばれたようである。

『ねえ高杉さん、南帝さんとこうしてお目にかかれるのも、屹度貴男のご先祖の引き合わせかもしれませんよ。お国は九州とか仰有っていましたが、あちらは南朝の忠臣たちが都落ちしたところですからね……』

 こんなことを池永女官長は言ったのである。彼の故郷は熊本県天草郡である。あるいは池永女官長のいうように、彼の先祖は楠木正成や、菊池武時等の家臣であったかも知れないが、とにかく五百年も昔のことである。いかに女官長のお言葉とはいえ、高杉はなんだかこそばゆく、いささか狐につままれた感じである。

 尤も吉田長蔵氏は北畠某の後裔と言うし、池永女史の亡母の里方も、南朝に由緒ある武士の血筋と聴く。大学助教授の菊池氏云々は先に書いたが、今や熊沢天皇の周囲には、その昔の南朝関係者の子孫が、馳せ参じてきているらしい。

 そして、熊沢天皇とこれらの人々の語るところによれば——彼、熊沢天皇事、寛動氏は決して敗戦の混乱に乗じて名乗り出た狂人天一坊の類ではなく、彼の先祖は、その歴史が証明するごとく、幾多の困難と生命の危機を切り抜けて、彼等の誇りである宝物と、貴い資料、そして血統を連綿と伝えて来たというのである。

 

 

 

歴史の修正

 

 その証拠には、熊沢氏が、厖大な資料を添えてマッカーサー司令部に歴史の修正方を懇願したのは、昭和二十年十一月十日付であった。

 翌十二月、名古屋市にある彼の茅屋に五人の米軍関係者が訪れ、六時間に渡る質疑応答があり、最後に軒下で乾杯して帰ったそうである。  二十一年一月のライフ紙には彼と家族の写真が掲載され「現天皇は歴史的事実の天皇であるまい」「熊沢は真の歴史的後継者であろう」と云った意味の記事が注目をひき、星条紙にもそれが報じられると、日本の新聞も遅ればせながら騒ぎ始めたのであった。

 熊沢氏が天皇のニックネームをつけられたのもこの頃で、熊沢天皇の名称がなんとしても滑稽であり、国民は猜疑と軽蔑の目でその記事を読み、完全なる天一坊と思い込んでしまった……

 と、いうのである。そこで彼は質問の矢を軽く放った。

『南帝さんは歴史の誤りを修正したいのが目的であると仰有いましたが、もし、貴方の言われるように改正されたら、一体、どんなことになるのですか』

『そうなれば今の天皇は……』

 と、言いかけて、熊沢氏は金壷眼をしょぼしょぼさせ、

『……とにかく、国民の自由に表明せられた多数の意志が、それを決定するでしょう』

 と、意味ありげに言った。

『しかし、そんな風に仰有ることは、少なくとも南帝さんにとって不利ではありませんか』

『それはどういう意味ですか』

『現皇室と国民の感情が、以下に親密であるか、貴方ご自身もご存知の筈です』

 熊沢氏の声は、急に熱を帯びてきた。

『……わたしは歴史上明らかに南朝の直系です。わたしの父は明治天皇にも、また大正天皇の時代にも度々上奏文を提出しました』

『それは身分上の保証についてですか……』

『それもあります。一度は皇族に、という議論が宮内省でも起きたようですが、総ては立ち消えになってしまったんです。しかし、皇族とか華族とか、そんな生易しいことで解決のできる問題じゃありませんからね……』

『そうしますと南帝さんは、本当の天皇になりたいと仰有るんですね!?』

 これは全く変な形容詞であるが、高杉はそれ以外に用いる言葉が浮かばなかった。

『総ては国民の意思です……』

 熊沢天皇はそう言って腕組みをした。度々そうするところを見るとこの人の癖であろう。

『南帝さんは、東京になにか御用でもあってお出でになったんですか』

 高杉はふと、話題を変えて訊ねてみた。熊沢氏を始め、いずれも公式の礼装であり、なにか重大な用件でもできたのかと考えられたからである。

『ああ、明日、芝の伊皿子で同士の人たちと会合することになっているのです。それから夜の汽車で福島県下に参ります。実は私の後援者たちが御殿を建ててくれましてね。菊花紋章をつけた、立派な家だそうですよ。いや全く有難いと思っています。招待を受けましたので、二週間ばかり保養に行ってきます』

 熊沢天皇は嬉しそうに応えた。

『駅に着かれますとね、団扇太鼓をもった日蓮宗の信者で明光会の会員が、三十人ばかりで南帝さんをお迎えすることになっているんですよ』

 こう付け足したのは、池永女官長である。熊沢天皇が法華宗とどんな関係にあるか、それは判らないにしても、福島県双葉郡新山町及び、熊町村大字夫沢付近に沢の字のつく地名が四十八ほどあって、この一円を大昔は「沢の邑」と言ったらしく、調査の結果熊沢天皇の先祖である熊野宮信稚王が、十年間その地に滞在の遺跡を確認するに足る史跡を発見したのであって、南朝の正統である熊沢氏を崇拝するものも、決して少なくないということであった。

『これを御覧下さい……』

 熊沢氏は突然上着のボタンをはずし、身に着けた真綿のチョッキを高杉に覗かした。

『これは、名古屋の市民病院にいる熱心な私に後援者が、寒い土地に行っても風邪を引かないようにと言ってね、贈ってくれたものです』

 そして、熊沢天皇は一寸眼をしばたたいた。

 元気そうに見えても、六十四歳になる熊沢天皇には、何より嬉しい真綿のチョッキに違いないのである。

 

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 風が出てきたか、窓硝子が騒がしく音を立てた。高杉はそろそろ退却の仕草をした。

『もう宜しいですかな。他に質問はありませんか……』

 高杉が腰を浮かすと、熊沢天皇は間髪を入れずに問いかけてきた。

『はい……あまり遅くなると何ですから……』

 彼は、そして天皇をはじめ股肱の臣達に別れを告げ、建て付けの悪い引き戸をあけて、謁見の間を後にした。

 遠くで「こんな女に誰がした」というレコードが聞こえていた。

後南朝再発掘―熊沢天皇事件の真実

 おしまいです。いかがでしたでしょうか。隔靴掻痒というか、インタビュアーのツッコミが弱すぎますね。まあしかし、四畳半の部屋に三人いるところで「謁見」なんぞしたら、息苦しくてかなわんかっただろうな、とは思いますが。

 

 さて、どうせなので天皇立候補一覧表の方も写してみます。

 まず最初が

 

裕仁天皇(全国民承認)

 

 と大きく出てます。はっはっは。次は記事の熊沢天皇です。

 

熊沢天皇 「南帝さん拝謁記」参照。戦前から名乗りを上げているだけに、昨今天皇商売もだいぶ板について、天皇野党派の総帥というところ。

 

 天皇「商売」ときましたか。そういえば少し前にも偽有栖川なんてのがうろついてましたね。廃れないんでしょうな、こういう「商売」って。

 そして、おあとは有象無象がぞろぞろ。

 

虎沼天皇 南朝系で「神武天皇第五十四大太平天皇」の名刺を振り回す、虎沼天通という禿頭の大男。小倉の文房具屋の老爺で、五十歳。「南朝奉戴期成同盟」の大看板をかけている。

 

鯖倉天皇 大塔宮護良親王の直系と称する北海道函館の鯖倉大介。『朕は北海道天皇になるだけで満足だ』と妙にケンソンしているが、この鯖倉帝だけが雨後の筍天皇中で一番の富豪だ。

 

鯛原天皇 北朝系で、仙台の躑躅ヶ丘公園の裏っぺた旧兵舎跡のバラック小屋で菊花御紋章入りの鯛焼きを焼いている。当主の天皇はシベリヤからまだ帰らないが、留守宅には水ッ洟を垂らしたズーズー弁の老皇太后と、戦後派兄貴(アプレゲールあんちゃん)型のカニヒト親王が『俺は播州平田兼光の末裔で、北朝の系統であることは綸旨で明白だ』と嘯いている。

 

鯨岡天皇 佐渡の鯨岡金八という物凄いギャング天皇。全身に十六弁菊花の刺青をし、命知らずの乾分おアゴでコキ使う金山の坑夫上がりで、博奕打ちの親分。順徳帝の裔と称し、雲をつく大男。共産党の向うを張り、機を見て天皇武装革命をやると、目下、全国に兄弟分を獲得中という。

 

蝉花女帝 松江の美容院主で、銀杏返しの三十年増。町では色キチガイで通っており、常に男出入りが絶えないというパンパン型女性である。

 

狸寺天皇 南北朝の何れかハッキリしないが、九州宮崎から立候補。正業は乞食で「法(のり)の天皇」という幟を押し立て、鼻紙に書いた勅語を人民に売り付けて歩き、『朕の治世になったら法で汝ら人民を安眠楽居させてやる』と宣う。

 

豹野天皇 九州大分から名乗りを上げた船問屋のオヤジ、天皇のくせに口が卑しくメチール入り原爆を飲み、あっさり崩御し給うた。

(この他、伊勢の薬草薪炭商の豚沢孝園天皇、京都の鮫島天皇等、天皇の名乗りを上げたものは全国で二十余名。尚続々と立候補の模様とはさてもさても)

 

 ……とまあ、なんというか、動物園ですかね。「熊」沢天皇に影響されたのか、それとも編集部の方でそう言う名前のばかり集めたのか……いや、こりゃ書いたやつが勝手にあだ名をつけてる、と考えるのが正解かもしれません。

 こうずらっと並ぶと壮観(?)ですが、そろいもそろってろくでもないのばかりですね。

 ああ、でも最後の付け足しの「鮫島天皇」てのはちょっと気になりますね。最近「鮫島」って名前の坊主が、朝鮮総連の建物を落札したりしてましたからね。そういえば、小泉元総理の父親の旧姓も「鮫島」だっけか。

 あーいかんいかん、二日にわたって変な記事書き起こしてたら、こっちまで変な電波が来たみたいだ。

 

 この辺でお開きとさせていただきます。

将軍が目醒めた時 (新潮文庫 つ 4-4)