うーん、今聞いてもかっこいい。いやあ、普段クラシックを好んで聞いてるけど、ときおりこういうのが聞きたくなったりするんだよね。
この曲は九五年頃、町を歩くとそこら中から流れてきたものだった。今も耳にするとあの頃の気分がよみがえる。
マシンガンのようなリズムにのって流れる歌詞は、意外にも吃音症について励ます内容になっている。
スキャットマン・ジョン自らも、幼い頃から重い吃音症に悩まされてきたからだ。
晩年は、といってもメジャーデビューしたときすでに五二歳だったのだが、吃音症者の支援団体を助けるため、「スキャットマン基金」を設立している。
日本でもゴールドディスク大賞を受賞した際、その賞金をすべて日本の吃音者支援団体に寄付している。
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劣らぬ吃音を、筆を執る手に留める私の、これは自問するところだが、表現者にとって、吃音とは何か。その人間のうちに流れる時間の、屈曲ではないか。時間が過去から現在へ、現在から未来へ、よどみなく流れるのは、これにたいして凄惨な異議を呈した哲学者もあったが、まずしあわせなことと思わなくてはならない。それにはおそらく、過去の限定が必要なのだろう。
(古井由吉『既視感の極みから』)
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一九九九年、スキャットマン・ジョン死す。享年五七。喉頭癌だった。
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