『編集力の時代』というのが来ないと出版の未来が見えないと思うんだが

 昨日ちょっと触れましたが、本にとって編集というものはとても大事です。なんだか「ネコにとってヒゲはとても大事です」みたいな当たりまえの話なんですが、どうも最近見落とされているような気がしてならない。

 というのも、「雑誌」と呼ばれるものがどれもこれもつまらなさすぎる……

 とくに週刊誌がひどい。

 売上げの低下を「インターネットにくわれた」と単純に分析する人もいますが、全然違いますね。むしろインターネットとという便利なツールを手に入れたら、今まで以上に面白い雑誌が作れないとおかしい。

 これって、インターネットの便利さに寄っかかって、手を抜くようになったってことですよね。

 

 つい先日、妻と娘が『舟を編む』という三浦しをん原作の映画を見てきました。私は見なかったんで映画については置いといて、「編む」という表現はネット時代の今こそ生きる、というか大事に考えた方がいいな、と思うわけです。

 ネットの時勢になってから、情報の「収集」と「分析」は、パソコン一台あればアホでもできるようになりました。

 もちろん、人の手だからこそできる「収集」や「分析」があることは知っています。しかし、学生のバイトを集めてそーれっといっちょうあがり、みたいな単純な作業はもう需要がなくなってしまったんです。わかりやすいところでは、「情報誌」と呼ばれる分野がそうですね。

 そして、たとえ苦労して「収集」した情報を、頭をひねりまくって「分析」しても、たいしてありがたがられないようになってしまいました。

 

 ここで必要になってくるのが、情報を「編む」という作業です。

 さて、ここで困るのは、具体的に何をどうすればいいのか、ケーキ屋のショーケースに並べるようにわかりやすくできないということです。

 とにかく、そのままではばらばらの数多の情報を「編み」上げ、ただ収集したのでもない、単純に分析したのでもない、別な価値を持つ「何か」(開高健流に言うとサムシング)を作り上げるわけです。

 おおよそネット上の情報は、この「編む」という作業に欠けるため、アルファブロガーと呼ばれる人のブログをそのまま出版してもなかなか売れなかったりします。

 もし、出版不況と呼ばれるものがインターネットに起因する、というのであれば、それは消費者の側がネットに流れているからではなく、編集者の側がネットに「流されて」いるからではないか、とかように考えるのであります。

 

 古本屋風情が何をエラそうに、という感じですが、まあこのブログではいつもそうしているということは置いといて、エラそうついでに言わせてもらうと、「情報を編む」、「編集する」ということであらたな価値を創り出すのは、出版に限らず、あらゆる分野で必要になってくるんじゃないでしょうか。金融でも、流通でも、なんでもかんでも。

 

 蛇足。昔、『だれが「本」を殺すのか』という本を佐野眞一が書いてましたが、誰も彼もない、本を殺せるのは編集者だけです。

 

 

だれが「本」を殺すのか