テレビが亡びることは当分ないだろう

 テレビというものを熱心に見なくなって二十年ほどになる。

 以前は毎週欠かさず見ている番組もあったのだが、今はうっかりすると忘れてしまう。そして、忘れても後悔することがない。全然執着心がわかないのだ。もちろんビデオに撮ろうとも思わない。

 ここのところよく見ているのは、堺正章の「チューボーですよ!」というやつ。たまたまチャンネルが合ったとき「まだやってたのかこれ」と懐かしくなった。以来、毎週見ることにしているのだが、そばに家族がいないとさっぱり見る気になれない。つい忘れてチェリビダッケ指揮でブルックナーの九番なんてのを聴いてたりする。

 

 テレビがお茶の間の必需品になって以来、それは一種の「祭壇」のように機能してきた。テレビを一緒に見るということは、家族が一つになる一種の儀式だったのだ。やがて好みが細分化されるようになり、「チャンネル権」というものが争われ、それがもとで殺人が起こったりもした。びっくり。そうした流れからか、「個人主義が確立するに従い、やがてテレビは一人一台の時代になるだろう」と予言する人もいた。

 予言は、半分当たって半分はずれた。

 一家に数台のテレビがあったとしても、テレビを「いっしょに見て楽しむ」という「儀式」が失われることはなかった。

 かわりに、「一人一台」のテレビは、パソコンに取って代わられた。

 一人で楽しむなら、パソコンの方がずっと適しているからだ。

 逆にパソコンは、「いっしょに楽しむ」という働きを失いつつある。どんなにパブリックなサイトを見ていても、腋からのぞかれるのはなんだかイヤな気持ちにさせられる。サイトの方も、家族でいっしょに楽しむというベクトルを放棄し、「あなただけに特別にお教えする」という方向で運営されることが多いようだ。

 

 デジタルテレビの時代になり、双方向通信の番組づくりが可能になっても、「いっしょに楽しむ」機能が別何かに取って代わられないかぎり、テレビの王座はまだまだ安泰だろう。

 その代わり、独りでこっそり楽しむような番組は、パソコンにテリトリーを奪われてしまうだろう。

 そこでまたひとついらんことを考えたんだが、以前提案したテーブル大のパソコンは、むしろテレビにした方がいいように思う。まあ、それでもやっぱり買わないけどさ。

 

 

チューボーですよ!―巨匠の完全レシピ集