自分の才能を信じるのも才能のうちだと信じるのも才能がいる

 昨日、娘の通うバレエ教室の発表会がありました。娘は今年高校受験のため、ここでひとつの区切りとなります。

 思い返してみれば、最初に教室へ行ったのが五歳の時だから、九年にもなるのか。さて、通ったかいがあったのかどうか、それはこれからの彼女の生き方にかかってくることでしょう。と、あいまいに口を濁しておくことにします。

 一番印象に残っていることは……そうですねえ……

 二度目の発表会のとき、ひらひらのチュチュでぎゅうぎゅう身を絞り上げた娘が、通し稽古が終って思い詰めたような顔で駆け寄ってきました。

「パパ、たいへん」

「どうした?おしっこ?」

「んん、背中かゆい」

 

 さて、才能って何でしょう。

 それは、「まわりがほっとかない」ことですね。たとえ本人がそれをいやがっても、まわりのほうがやいのやいのという。

 しかし、それは才能が認められた後のこと。イチローですら最初は苦労しました。それでも生きてるうちに認められるんだから、スポーツ系はまだましかもしれません。文学だの芸術だのは、死んでからやっと認められたりします。

 それまでは、その人がなにか悪いことでもしたのかというくらいにほっとかれますので、自分の才能を信じるのは自分だけになります。

 つまり、自分で自分のことを「ほっとかない」わけです。

 生きているうちに才能を認められた人は、よく「まわりがほっとかない」ことをいいことに、自分自身を「ほっとく」ようになってしまいます。

 自分を「ほっとかない」ことは端的に「努力」という形をとって現れることもありますが、それ以前に自分を見失わないことでしょうね。でしょうね、てそんなことは常人には難しいわけで、それこそ本当の「才能」がそこで試されるのでしょう。そこで「才能」がないとなれば、「ほっとかない」人たちは、あきがくればすぐに「ほっとく」ようになってしまいます。あーこわい。

 

 少し前に、カーラジオから「ヒロシ」の声が聞こえてきました。もう何年もTVに出ていないと自分で語り、新作のネタを披露していました。

「ヒロシです。大勢のファンの方々から、たくさんのファンレターをいただきました。『ずっと好きです』『永遠にファンです』『一生ついていきます』……みんな、死んでしまったんでしょうか」

 

 まあ、親ってのは基本的にバカですから、というか、バカでないとやって行けませんから、子供のことは「ほっとかない」もんです。だから子供ってのは、無根拠に自信ぱんぱんなんですね。やれやれ。