もし彼が受賞したとして素直に言祝ぐことができるだろうか

 村上春樹がノーベル文学賞候補と騒がれるようになったのはいつ頃からだろうか。少なくとも女子大生たちが小脇に『ノルウェイの森』を抱えて闊歩していた頃は、そんな話はなかったように思う。その昔井上靖がそうだったように、選定の時期になると自宅に記者が詰めかけたりしているのだろうか。

 そして、もし彼が受賞したとして、以前から悪口を言い続けた人たちは、それをどのように受け止めるだろうか。浅田彰なんか「田舎者面」と顔をくさすだけで切り捨てていた。「読む価値無し」ということか。

 

 大江健三郎が受賞したとき、ある方面の思想界隈に波紋が起きた。波紋というより混乱と呼んだ方がいいかも知れない。「日本人が」ノーベル賞を受けたことを評価するとともに、「大江健三郎が」ノーベル賞を受けたことに対して、「なんであいつが」というかなり大勢の人がいたのだ。そして、その大勢の人たちは殊更に無視を決め込んだり、「選定基準がおかしい」などと文句を言ったり、しばらくしてから旧著の内容について無理矢理な告訴をしたりした。

 大江健三郎は『政治少年死すーセヴンティーン第二部』が物議をかもした、というか、右翼の怒りを買ったという経緯があり、保守と呼ばれる方面には甚だウケの良くない作家だったのだ。

 

 村上春樹はどうだろう。確かに「ある一部」にウケが良くないが、それが何の「一部」なのかよくわからない。教養層と呼ばれる人たち?

 今では新刊が出れば新聞の社会面に「事件」としてとりあげられるほどになった。ハリー・ポッターもびっくり。「一部」がどんなにぐちぐち言おうが、ほとんどかき消されてしまう。

 イヤなことを少し言わせてもらうと、もし村上春樹がノーベル賞を受賞したら、そういう熱が「冷める」ように思う。ファンも、そして村上春樹自身も。

 大江健三郎ですら一度は絶筆宣言をしている。

 

 さて、村上春樹についてぐちぐち言う人の物言いに「翻訳調の文体」というのがよく見受けられるように思う。まあ、批判する目的でなくても、そう特徴づけられることが多い。

 でもね、二葉亭四迷は最初にロシア語で書いて、それを翻訳することで「言文一致体」を創り出したんだよ。それ以前の文章だって、もとは漢文からの翻訳だ。江戸時代は「まともな文章」というのは漢文のことであって、漢文が読み書きできなければ文盲とされていた。日本の「文章」てのは、常に翻訳が元になってきたわけ。だからそのうちああいう文体が普通になって行くのだろう。もうなってるかな?

 

 ところで、村上春樹と大江健三郎って、口元が似てるよね?亡きレオナルド熊みたいで。どう?

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年