妻に娘、飼い猫もメスときて、我が家でY染色体を持ってるのは私だけなわけですが、あんまり「男だああああ!!」と再確認するようなイベントはありませんな。いいことかどうかはわからんけど、少なくとも悪いことではないように思う。
正味の話、男とか女とか、株価の上げ下げと同じくらいどうでもいい。あ、なんか株また下がったんだっけ?お疲れ。
でもやっぱり「男」にこだわりたい人たちはちゃんといて、世の中の色々は「男のせいだ」と考えていたりする。あ、よくあるフェミニズムとかでなくて、「男性学」とか呼ぶんだとか。
少子化が止まらない理由は「オッサン」にある? ー「男性学」の視点から「働き方」を考えるー
http://cybozushiki.cybozu.co.jp/?p=8964
……なんか言ってますけど。
結局社会的経済的な問題の縁んとこに、「男性学」という言葉をプリコラージュしてるだけですね。これで男性「学」とか、へそで沸いた湯で固ゆで卵ができそうですが、こういうカジュアルなもののほうがウケがいいのかもしれません。
もしこれがフェミニズムの対抗として現れてきたとしたら、あらためて「日本男児」とかいうものはダメダメになってるな、と再確認できてしまうわけです。
まあ、こういうのをのさばらせてしまうのも、日本のフェミニズムがさっぱりだということにも責任があるんで、男性ばっかりが悪いわけじゃありませんが。
だって、「死刑の是非」とか、本来フェミニズムの視点から語られてしかるべきなのに、さっぱりそういう言説を見かけないじゃん。コメントくらいは誰かしたのかな?やる気がないのか、問題に気づいていないのか。
「社会」や「国家」の外側にあって、それと対峙するものが「女」であり、それに対抗する形で「男」を提出しようとしたら、それこそきらめきながら一瞬で消える波しぶき(byジンメル)、程度のものになっちゃうんじゃないでしょうか。「男」なんざ99.9999%は「システム」の中に「解体収納」されてんだから、残った部分を探すのなんかニッポンカワウソを探すよりたいへんだ。
上記のサイトの「男性学」には、そういう覚悟が一ミリもありませんな。
自分が「男性」だから、自分が愚痴ればその言説がそのまま男性「学」だとか、サトウのごはんもびっくりのお手軽さだ。
さて、そんな男たちに、こんな悲報がもたらされました。
http://irorio.jp/sousuke/20130404/53230/
といっても五〇〇万年後くらいの話だそうですが。
なんか、Y染色体にのっかってる遺伝子が、だんだん減ってるんだとか。二、三億年前は千七百ほどあったのが、今は四十五くらいなっちゃってるんそうな。
でもこの研究、どこまで信用していいのやら。本文中に「日本の」アメリカトゲネズミのY染色体が消えたけど、別な性決定遺伝子が生まれたとか、わけわからんこと書いてるし。それより、三毛猫の雄が一万匹に一匹くらいしかいないことを調べた方が説得力があったんじゃないの?
しかしまあ、こういうディストピア風味な話を聞くと、小松左京の『アダムの裔』を思い出しますな。SF短編小説ですが、男性はあんまり読まんほうが精神の健康に良いタイプの内容であります。
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