『ハウルの動く城』て子供が見てもよくわからんのじゃないかと思うんだが

 ……なんか、英語の予告編の方がよくハマるな、これ。

 えー、昨日「未来が重い」という話をしたんで、ちょっと思い出したのが『ハウルの動く城』です。

 これはほんと、いろいろと説明不足な映画なんで、というかわざと説明してないんで、意味不明な部分が多いですね。ウチの娘なんか「どこが面白いの?」とかききやがる。

 

 まず、ソフィーがおばあさんになったらがぜん元気になる、というところがよくわからんらしい。そらそうだ。普通なら泣きわめきまくって首でもくくってるとこです。

 でも、ソフィーはそれまで帽子屋の下働きみたいなことをして、「一度も美しいと言われたこと」なく生きてきたわけです。言われたことないとかウソだろ?と思っちゃいますけどね。だけど年柄年中うつむいて歩いてる人ってのは、「美しい」と言われても「どうせお世辞でしょ」と心がはねつけちゃうんで、「言われたことない」という下向きの記憶ができ上がっちゃうんですな。

 そんなこんなでソフィーは、帽子屋の二階でくらーい顔して生きている、というか、生きてるというより「顔を伏せて毎日を懸命にやり過ごしてる」。そういう状態のソフィーには、「未来」てもんは可能性でもなんでない、重ったい荷物でしかないわけです。

 さあ、そこへ荒地の魔女が現れて呪いをかけ、ソフィーはたちまちおばあさんになってしまいました……

 てことはこれ、重荷になってる「未来」が吹き飛ばされた、てなことでもあるんです。

 すると、重荷のなくなったソフィーはがぜん活力を取り戻し、若い頃より生き生きしてくる……とまあ、こういった次第。

 なので、ソフィーは荒地の魔女をそんなには怨んではいない。むしろ、きっかけを作ってくれた彼女に内心感謝してる。だから、よぼよぼになった魔女に仕返しどころか親切にするんですね。

 

 ……と、だらだら書いてみましたけど、「これ、自己流の解釈でしょ?」ときかれたら「はい左様でございます」と答えるしかありませんが、だいたいはあってるんじゃないかなーと思っています。たぶん、宮崎監督自身だって、よくわかんないままカンで作ってんじゃないかと。

 原作読むとわかるかというとそうでもなくて、原作だとソフィーも魔法が使えることになってますね。ハウルはもっとどうしようもない女たらしです。

 宮崎監督の手柄は、ソフィーが魔法を使えるんじゃなくて、そこをあいまいにしたまま普通の女として描いたところにあります。それで物語に何倍も深みができた。

 原作と映画は別もの、と考えた方がいいんじゃないかな、と思います。

 

魔法使いハウルと火の悪魔―ハウルの動く城〈1〉

 

 ジブリの中で好きなアニメは?ときかれたら、私はこの『ハウルの動く城』をあげます。声がキムタクでもかまいません。

 そこんとこを娘にきくと

①おもひでぽろぽろ

②ホーホケキョとなりの山田くん

③平成狸合戦ぽんぽこ

 とまあ、みごとに宮崎作品をはずしてくるんで、なかなかたのもしいと思ったりするんですが、「それ全部より『イナズマイレブン』!」のひと言で台無しにして下さいます。

「イナズマイレブン好き!パパより好き!!」だそうで。

 あーそうですか。ファイヤートルネードくらわすぞ、バカ娘。

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コメント: 1
  • #1

    火垂るの墓 (日曜日, 15 2月 2015 13:39)

    トトロ,ポニョの死後世界説のような
    公式設定でも何でもない糞程の価値もない
    自己流都市伝説的解釈垂れ流すようなのが多くて適わない
    それはともかく、近年のジブリ作品は色遣いからして駄目だね
    何でも、手書きに拘ったらしいが
    着彩がコンピュータって、肝心なところ、詰めが甘過ぎんだろ
    あの遠近感も糞もない不自然でゴチャゴチャとした色遣いにも納得。