自分は読んだけど自分の子供には読ませたくない本

 ずいぶん身勝手な言い草ですが、親ってのはそうしたもんです。心配しなくても、ハナから読みゃしないんでしょうけど。

  逆の話になりますが、子供ってのは親が読ませたい本なんか触ろうともしませんな。「蔵書は一代」「読書に相続無し」てのもわかるような気がします。

 

 しかし、「読むのは時間の無駄」と思う本はあっても、禁じたくなるほどのものはあまりありません。ほっといても読みそうにない本は禁ずる必要なんかないし、禁じなきゃならんのは、読んでうっかりはまるととりかえしがつかなそうな本、ということですね。かえってそうした本の方が、裏返しの価値を持つのかもしれませんが……

 少なくとも目の前では読まんでくれ、な本をいくつかあげてみたいと思います。

 

 

 えー、まずはオーソドックス?なところから。

 セリーヌの『死体派』であります。

 御家庭に持ち込んではいけない本ですね。昔なら白いポスト(死語)行きか。むしろ、あたたかな団欒風景の中でせんべいでもかじりながら読まれた日にゃ、セリーヌ先生が地獄の底で号泣することでありましょう。そういうのに絶対向かない本であります。

 内容は、たんたんとした口調で差別主義を語りまくるというもので、狂気の手触りってわりと単純なんだな、てことを確認するために読むものです。正直、けっこう退屈。

 

 

 

悪魔の辞典 (角川文庫)

 

 お次はアンブローズ・ビアス『悪魔の事典』

 高校か大学くらいの頃、本棚にならべた人も多いんじゃないでしょうか。ちょいと皮肉なことを口にすれば、その分背伸びできた様な気がした、あまずっぱい青春のああ勘違い。ま、勘違いくらいですんでりゃいいんですけど、こういうのが「クセ」になると、日常生活にも支障をきたしますからね。たとえ読んでなくても、いっこうに恥ずかしくないし。

 ただし、短編小説『アウルクリーク橋の出来事』は文句無しの傑作です。

 

ものぐさ精神分析 (中公文庫)

 

 これにハマったのは高校生くらいでした。今でも読んだことが恥ずかしいくらいです。

 世の中全部まぼろしなんだ〜、とかいかにもイケてない高校生らしい。当時は「幻想」という単語がまだ手あかにまみれておらず、新鮮さがありました。

 恥かきついでに告白すると、受験時にこの人が教授やってた和光大学を志望しようかと考えたくらい。担任の教師に一笑に付されました。進学校の教師ってのは容赦ないですね。

 

 うーん、なんか青春残酷読書録みたくなってきた。この辺にしとこう。

 

「禁書」というものはどうやら、「読んだことが知られたら恥ずかしい」ことが原点にあるようですな。そしてその恥ずかしさは共有できない、したくない、もしくは賞味期限が切れている、というところか。

 


この世にあって、真っ先に禁止されるべき書物とは、禁書目録である。

 リヒテンベルク『アフォリズム』