間違いだらけの英語の話

 以前洋古書を輸入する会社で働いたいたことがあるんですが、十七、八世紀くらいのイギリスの本てのは、誤植というかスペルミスが当たりまえのようにあるんですね。

 なぜなら、English spelling が統一されたのは、やっと十八世紀中頃だったからです。それ以前はどうだったかというと、その時その時で「だいたいあってる」感じで適当に書いてたんです。だから、シェイクスピアなんか署名のつづりが何種類もある。これは彼が実は複数人のペンネームだったことの証左のようにも言われますが、当時こうしたことは珍しくなかったんです。

 いや、今だって変な署名をする財務長官とかいますけどね。意外と自分の名前を正確に憶えてないだけかもしれませんが。

 

 スペルの統一の必要性が叫ばれたのは、印刷術が発達し、印刷されたものを通して文章に触れることが多くなってからです。グーテンベルク万歳!

 まあ、似たような事情はおそらく世界中にあるのでしょう。漱石だってあんなに漢詩が書けるのに、小説は当て字だらけだったりします。サンマを「三馬」とか、落語家かよ。

 

 ここでちょっと思い出すのが、パパ・ブッシュの副大統領ダン・クエールですね。小学校の授業を視察に行った際、子供の書いた「potatoes」の綴りを、「うーん、おしいな、ちょっと違うよ。正解はこうだ!」と「potatos」とわざわざまちがって「修正」し、しかもそれがテレビのニュースで流されちゃった、なんてことがありました。さすが、共和党の申し子、「ラテン・アメリカではラテン語を喋ってる」と言っただけのことはある。心労がつのったのか、パパ・ブッシュは日本のパーティーでゲロ吐いて倒れちゃいました。

 しかしまあ、こういうのはアメリカ共和党の伝統芸みたいなもんで、なにもブッシュ・ジュニアが初めてだったわけじゃないんですね。

 

 それから、スペルが間違いだらけだった有名人というと、F.スコット・フィッツジェラルドがいます。よくまあそれで小説家になれたもんだと感心しますが、きっと編集者が軽い失読症 dyslexia を患っていたのでありましょう。

 村上春樹は、ちゃんと直ってるのを翻訳したんだろうな、と思います。

 

 

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)