イタい子!ショーペンハウエル経済編

Schopenhauer_by_Wilhelm_Busch
Schopenhauer_by_Wilhelm_Busch

 一八〇五年、ショーペンハウエルの父、ハインリヒが死んだ。気鬱が昂じての自殺と見られたが、事故死として処理された。当時まだ自殺は重大なスキャンダルであり、代々の富裕な商家で有力な市民でもあったショーペンハウエル家にとって、あってはならないことだったのだ。

 そのときアルトゥール・ショーペンハウエルは十七歳。多感なお年頃である。母ヨハンナとの軋轢はこのときから始まった、と伝記作者の多くが語っている。

 母は息子が商人になる気がないのを認めるや、さっさと商館を閉じ、莫大な遺産を手にした。それはムール商会に投資され、そこから配当される利子によって、ヨハンナは身分不相応なほどのサロンを開くことができた。そのサロンにはゲーテも常連だった。

 そして、遺産は息子アルトゥールにも分与され、同様に何不自由ない生活がこの世間知らずの哲学者にもたらされた。すばらしい天の配剤。もしショーペンハウエルが貧窮に沈んでいたら、その後彼の紡ぎだす哲学は読む者の精神を徹底して破壊するものになっていただろう。ただでさえ彼の書物に触れて自殺する若者が跡を絶たなかったのだから。

 

 ところが一八一九年に、このムール商会が倒産の危機に瀕する。商会はスポンサーたちに債権を半分にすることを申し出た。

 ショーペンハウエルは怒り、それを拒絶した。もし財産が雲散霧消してしまったら元も子もなかったはずだが、「いやだ、全部返せ」とつっぱねた。

 他のスポンサーたちは、もちろんそこには母ヨハンナも含まれるが、それを呑んだ。そのおかげでなんとか商会は形を変えて残ることとなったが、ショーペンハウエルは頑固に全額を取り戻し、「哲学者だからといって世間知らずの愚か者とあなどるな。世間知を有しつつ哲学者たることもできるのだ」と凱歌をあげた。そして勢いにまかせて、読むだけで不快にならざるを得ないような手紙を身内や商会の人間に書きまくった。

 かつて伝記作者たちはこのあたりの事情をショーペンハウエル寄りに記述することが多かったが、どうやら母ヨハンナの立ち回りがなければショーペンハウエルの財産も消えていた可能性が高かったようだ。あぶないあぶない。

 

 さて、倒産騒動から遺産を守って意気あがるショーペンハウエルだったが、その直後にとんだトラブルを引き起こす。

 ベルリンに家具付き部屋を借りたとき、その隣に住むお針子のおばはんとごたついたのだ。そのお針子がラウンジにたむろして声高らかに談笑していると、ショーペンハウエルがやってきて「うるさい。お前ら出てけ」と叱ったのだ。これは無茶だ。おしゃべりしてる最中のおばはんにケンカを売るなんて、竹槍でゴジラに立ち向かうようなもんだ。

 ショーペンハウエルは言うことをきかない(きくわけねえだろ!)おばはんを、力づくでラウンジから放り出した。

 商会とのごたごたにかたをつけ、勝機運気は我にあり、と少々調子に乗っていたのかも知れない。ショーペンハウエルはおばはんというものを甘く見ていた。

 すぐさまおばはんは、この世間知らずの哲学者を相手に訴訟を起こした。そして法廷闘争の末に、多額の慰謝料と終身年金を勝ち取ったのだった。おばはんは無敵だ。どこの国でもいつの時代でも。

 二十年もの間、ショーペンハウエルはこのおばはんに安くない年金を支払うはめになり、おばはんがやっとのことで死んだ時

「老婆も滅び去り、重荷も滅び去りぬ Obit anus, abit onus」

 と忌々しげに書き付けたのだった。

 

 

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