哲学者ほどグルメから遠い人種はいないようなので「食事する哲学者の問題」についてメモしておこう

 哲学者は自分の食事についてどう考えていたのだろうか。意外とうるさかったんじゃないかと思ったりもするが、伝記にその辺りのことが書かれることは少ない。

 カントはタラが好物で、普段食べ過ぎに気をつけているのに、タラだけはおかわりをねだったという。まあその程度。

 プルタクコスに『食卓歓談集』というのがあるが、これは思索的な話がメインで食事についてあれこれ述べたものとは少し違う。

 

 さて、にもかかわらず「食事する哲学者の問題」というものが存在する。

 論理学の初歩の問題で、最近はコンピュータのマルチタスクの基礎として扱われるそうだ。

 その問題というのは以下の通り。

 

 円卓を囲んで五人の哲学者が座っている。

 円卓の真ん中には大皿が置かれていて、そこに山盛りの料理が積み上がっている。

 哲学者たちの元には皿が一つづつ置かれていて、中央の料理をその皿に取って食べることになっている。

 皿の両脇には、ハシが一本づつ置かれている。一膳ではなく、「一本」である。

 しかも、皿と皿の間に一本づつになっている。つまり、ハシは五本、二膳と一本しかない。

 両脇のハシをとらないと哲学者は料理が食べられないが、哲学者たちは右手しか使えない、つまりは両脇のハシをいっぺんにとることはできない、ものとする。

 この場合、ハシの本数が足らないので、みなが一斉に一本づつ手にすると、一人も食事ができなくなる。

 さて、哲学者たちはどのようなルールでハシを手に取るようにすれば、一番効率よく食事ができるだろうか?

 

 ……なんだか哲学者と言うより中国人な感じだが(円卓ってやっぱ中華でしょ)、中国の哲学者が想定されているのかも知れない。老荘孔孟、あと誰?墨子?荀子?

 まあいいや、とにかくこれ、いろんな答が出て来て「これでキマリ!」というのがなかなかない。そのくせ「そんなんじゃダメ」という回答例はある。大学でプログラミングを習う学生なんかはこれに悩まされるそうだ。

 とにかく確実に言えることは、「いっせのせで早い者勝ちでいいんじゃない?」という非哲学的・非論理的な発想はまっさきに×を食らう、ということだ。

 

 

食卓歓談集 (岩波文庫)