古代ローマ暴飲暴食列伝

アピキウス『料理帖』
アピキウス『料理帖』

おいしい古代ローマ物語―アピキウスの料理帖

 

 

「傾国の美女」というのはひとつの言葉になってますが、国が傾くほど美食に入れ込んだ君主、てのはそうそういるもんじゃありません。ガルガンチュワのごとき胃袋でもなければ、人間ひとり食う量なんざたかが知れてる……はずなんですがねえ。

 ローマ帝国の王や皇帝ってのは、信じられないような美食のかぎりを尽くしました。キリストが食べすぎを「罪」にしたわけですな。

 

 まず、アピキウス・マルクス・ガヴィウス。フルネームで書いたのはローマ王にアピキウスてのは三人いるから。こういう似たような名前が王家に続くってのは、洋の東西を問わないようです。

 この人はB.C.25年頃にローマを支配し、食い道楽のあまり料理についての本を書いちゃいました。これ、一応最古の料理書てことになってます。

 毎日毎食に美食に明け暮れ、国庫が払底してくると、「不味いもん喰うくらいなら死んだ方がマシだ」とばかりに、毒を呑んで死んじゃいました。

 彼は生前、こんな言葉を残しています。

 

「食卓と寝所の楽しみの他に、楽しいことなど絶対にありはしない」

 念のため断っとくと、この王様が寝所に連れ込んでたのは主に男性でした。

 

 お次はその乱痴気ぶりが暴君ネロより名高いヘリオガバルス。

 

ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト (アントナン・アルトー著作集)

 

 その残忍さと淫行ぶりはありとあらゆるタブーを破り、帝国史上最低の皇帝といわれています。有名なのは絶対不可侵のはずの巫女さんをレイプしたことですね。だいたい皇帝になったときまだ十四歳だったんだから、中二がそのまんま権力握ったようなもの。まともな政治を期待する方が無理っしょ。

 この中二皇帝の食事ぶりは贅沢を極め、たびたび催される宴会は毎度銀貨千セステルス(だいたい二千万円くらい?)以上かかった、と伝記作者のランプリディウスが書き残しています。

 そして、「四年の在位の間、ヘリオガバルスがとった食事で金貨六十マール以下だったことは一度もない」と非難している。えーと、なんか普段の食事の方が高いような気がするけど、いいのかな、これ。金貨の価値は銀貨の二五倍なんだが。うーん、わからん。

 とにかく、食べ散らかし呑み散らかしヤリ散らかしたもんで、しまいにゃ親衛隊に叛乱されて便所に逃げ、そこにあった海綿(スポンジ。ローマ人はこれで尻を拭いた)を喉に詰まらせて死にました。腹減りすぎておかしくなったのか。

 

 最低皇帝の座はヘリオガバルスが不動とされてますが、ライバルがいないでもありません。A.D.69年に八カ月ちょっとだけ在位した、ウィテッリウスというでぶがいます。

アウルス・ウィテッリウス
アウルス・ウィテッリウス

 古代ローマ人と言えば、「美食のために、お腹いっぱいになると吐いてまた喰った」という拒食症患者のようなエピソードで知られていますが、それを実際にやってたのがこの人です。前世は牛?いやそれは牛に失礼か。

 タキトゥスが記録するところによれば、この人が在位中イタリア半島すべてが食料調達に追われ、宮殿に続く道という道が食材を運ぶ荷車でごったがえしたそうです。

 しかもこの皇帝、地方に査察に出掛けると、そこでも変わらず贅沢な食事を要求したため、いくつもの町が財政破綻に追い込まれたそうで。そのまんま字義通り「食いつぶした」わけです。比喩が比喩でなくなってるときって、おおよそ最低のことが起きてるんだよね。

 この人もお定まりで兵の叛乱で殺され、死体はティベリス川に投げ込まれたそうです。前述のヘリオガバルスも死体がティベリス川に捨てられてますが、中二皇帝は最初下水溝に捨てようとしたらデブすぎて入んなかったので、兵たちが改めてえっさかほいさと川まで運びました。なので今回は二度手間をさけて、川までまっすぐ運んだというわけです。経験は人を進歩させますね。