少し嫌みなことを書こう。
妻と一緒になるまで、私は回転寿司というものに入ったことがなかった。存在については認識していたが、足が向かなかった。
だいたい昔の回転寿司の店ってのは中がよく見えなくて、店内でいかなる秘儀が行われているのかさっぱりわからなかった。こういうところも躊躇させる理由のひとつだった。
それまで寿司と言えば、何かのお祝い事の時に食べるか、親父に店へ連れてってもらって、カウンターで板さんのおまかせを賞味した後、あれこれと注文するのが普通だったのだ。ん?今でも世間では「普通」だよね。でも「回らない寿司」という呼び名が示す通り、その「普通」はすっかり「贅沢」になっている。それは我が家でも例外ではない。
妻に連れられて(その時はまだ「妻」じゃなかったけど)初めて回転寿司に入ったときは、顔に出さないようにしていたがいろいろと衝撃だった。
目の前を皿に乗った寿司が小刻みに震えながら動いてくる。わーなんだこれ。これをとるのか?と手を伸ばしたら、「まずお茶でしょ」と湯のみを目の前にでんと置かれ、紅茶のパックが薄緑になっているようなのを放り込まれた。どうするのか見ていると、カウンターについた黒いボタンに押し付けてお湯を注いでいる。こっちは「前から知ってたよ」というふりをして同じようにした。
そして次々に来りては遠ざかる寿司の面々をながめつつ、気に入ったものをとるわけだが、最初のうちはよく取り逃がした。なんであんなにゆっくり回ってるのに逃してしまうのか、今となっては不思議でしょうがないが、エスカレーターに乗るタイミングがわからないおばあさんみたいな状態だったのだろう。
だが心配はいらない。たとえとり逃しても他の客が取らなければ、チャンスはもう一度めぐってくる。そうして一回り客席を回った寿司は、長旅を終えた勇者の如くひと回りもふた回りも大きく見え、ラスト1メートルを進んでくる有様は、花道で六方を踏む歌舞伎役者もかくやとばかりに輝くのだった。いや、大げさでなく。たとえそれが冷まし足らないほかほかのシャリに乗ったアジであっても、もう何周回ってるのやら縁がかぴかぴに乾いているエンガワであっても、なんかしらんけど表面が虹色に輝いているマグロであっても、挿まれたサビが透けて見えるほど薄く切られたタコであっても、その華やぎに変わりはなかった。
妻にはあらためて礼を言いたい。ありがとう。マジで。
さて、そんな私だが、なぜか自宅でアオリイカを食べる機会にめぐまれることとなった。ややこしい経緯ははぶくが、きっかけは妻がフェイスブックで「アオリイカ喰いてえ〜〜!」とシャウトしたことによる。なんだか魔法みたいだ。もしかして奥様は魔女なのだろうか。てっきりタヌキかとばかり。
まあとにかく、昨日我が家にアオリイカが届き、私もご相伴にあずかることとなった。ただぱくつくのも芸がないので、コウイカのサクをスーパーで買い求め、食べ比べてみることにした。
まずコウイカを食べる。ふむ。普段食べている一パイ百円の燈明蝋燭みたいに細いスルメイカより格段に美味い。スーパーとはいえあなどりがたし。
さあ、お次はメインのアオリイカだ。普段と同じくワサビにつけ、醤油でいただく。
これは……なんというか、格が違う。コウイカも美味いが、アオリイカが絹なら、コウイカは綿、アオリイカがエキストラ・バージン・オリーブオイルなら、コウイカはキャノーラ油なくらいに違う。味が繊細なのだ。私は途中からワサビをつけるのを止めてしまった。ワサビが邪魔に感じるのだ。もちろんきちんとした本ワサビならそんなことはなかったかもしれないが、そのとき我が家にあったのは、よく刺身を買うとオマケに付いてくる、大根おろしのカスを緑に着色したようなシロモノだったのだ。
そこでふと、回転寿司のイカのことを思い出した。
回転寿司のイカは、白くて厚くて、口に入れると歯ごたえ以外は醤油とシャリの味ばかり感じられた。身を噛むと歯が食い込むと同時に裂けていき、ぷつりとも言わずにまるでプラスチックのように割れる。
あれは……もしかして消しゴム?
もしやMONOとか書いてあるケースから取り出してのっけていたのではないだろうか。
などと、いらぬ妄想が脳内を経巡るくらい、アオリイカは美味かった。
妻にはまた礼を言わねばならない。ありがとう。ほんとマジで。
最後に、私は結婚して以降、「回らない寿司」を食べていないことをここに告白しておこう。だって高いし。
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