自由ってなんて不自由なんだろう♪なんて吉田拓郎風に歌ってみたりして「ピノチェトと愉快な仲間たち編」

ピノチェト(左)アジェンデ(右)
ピノチェト(左)アジェンデ(右)

 九月十一日といえば、WTCのツインタワーがまるで砂のお城のように崩れ落ちた日として記憶されている。

 だが、それまでは別の出来事によって記憶されていた。いや今でもチリ人にとってはそっちの方が重要だろう。

 一九七三年九月十一日、ピノチェト将軍がクーデターを起こし、アジェンデ政権を倒してチリを乗っ取ったのだ。この冷やすとおいしいお菓子みたいな名前の将軍は、以後二十年に渡ってチリを支配し、おおよその軍事独裁政権がやらかす冷酷で無惨で苛烈なもろもろをもっと冷酷で無惨で苛烈に、しかも結構おおっぴらにやってみせたのだった。

 世界中から告発され、最後は「ジェノサイド」の罪で逮捕されたにもかかわらず、九十一歳の長命を得て病院のベッドでやすらかな最後を迎えることができたのは、ひとえに「冷戦」というやつのおかげだった。

 ピノチェトが倒したアジェンデ政権は、革命なしに民主的に選ばれた「社会主義政権」だった。アメリカにとって、そんなものが南アメリカにできたりするのは、裏庭に突然毒キノコがはえてきたようなものだ。この南ア大陸と太平洋をさえぎる壁のような、アンデスの日当りを独り占めしている火トカゲような、南極の心臓に突きつけられた剣のような(byキッシンジャー)国が赤く染まるなどということは、絶対にあってはならないことだったのだ。

 ピノチェトのクーデターにアメリカの影があったことは間違いないだろう。アジェンデと側近は大統領府に立てこもり、カストロから贈られた銃で最期まで抵抗した。降伏すれば国外に亡命させてやる、との提案をはねのけ、ラジオで国民に向けて演説して死んだ。自殺だったとされているが、今も疑う人は多い。

 ピノチェトはアメリカ政府の支援、というか見て見ぬ振りのおかげで、やりたい放題にすることができた。当時世界的に一番著名なチリ人であり、ミュージシャンであり、政治活動家でもあったヴィクトル・ハラは、クーデター直後に殺された。

 その後、ピノチェトは少なくとも数千人を殺し、数万人を投獄し、数十万人を国外に追いやった。確定した数字は今も出ていないと思う。おそらく、ひと桁づつアップするだろう、との声も多い。軍による犯罪というのはおおむねそうしたものだ。大勢の人の悲鳴を聞き、血の臭いを嗅いだ跡でも、まるで何事もなかったかのようにマルチーズみたいな笑顔を振りまくのが軍人というものだ。そしてできれば、本当に何事もなかったことにしてしまおうとする。犠牲者の数を誇らしげに数えるのは、今や象の密猟者くらいのものだ。

 そういえば、スティングもピノチェトを告発する歌をレコーディングしていた。この曲はヒットチャートにのり、多くの人にピノチェトの悪事を教えた。今でもたまにラジオから流れてくる。

 さて、前フリが長くなったが、チリは当時「チリの奇跡」と呼ばれる経済成長を謳歌している、ということになっていた。

 シカゴボーイズという、ドゥワップでも歌いそうな名前の経済学者たちがピノチェトに協力したのだ。

 正式には「シカゴ学派」と呼ばれた彼らは、ノーベル賞を受賞した有名なミルトン・フリードマンとともに、チリを舞台に先駆的な経済学の「実験」をあれこれと行った。いわゆる「新自由主義経済」というやつだ。

 それは長い間、すばらしい成功として対外的に宣伝されてきた。

 まあしかし、学者センセイがこのテのリアルに関わると録なことにならないのは、プラトンがシラクサでやらかしたあれこれ(弟子のクーデター含む)以来、ずっと変わらぬ真理である。現在ではアマーティア・セン(この人もノーベル賞もらってるな)らによって、当時のチリ経済がボロボロだったことがわかっている。さすがのピノチェトも耐えかねて、後期にはシカゴボーイズたちを追い出してしまった。

 そして、実証主義者フリードマンと一線を画しつつも、リバタリアニズム(絶対自由主義)の孤高の旗手として名高いフリードリヒ・ハイエクも、ピノチェトに関わり、その政治手腕を賞賛していたのだった。

 

The Hayek-Pinochet Connection

http://crookedtimber.org/2013/06/25/the-hayek-pinochet-connection-a-second-reply-to-my-critics/

 

 すでに老境にあったハイエクには、サンチャゴにあふれる幼い顔の娼婦たちも社会主義から解放された自由人のように見えたのだろう、というやや無理のある弁護の声もないではない。

 しかし、ハイエクは本気でピノチェトを支持していた。アジェンデよりマシ、などというボーナスを減らされた社員のような消極的比較などではなく、この高名な経済学者(やっぱりノーベル賞をもらってる)にとって、自己の学説からしてピノチェト支持するのは当然のことだった。

 自由主義者なのに、なんでこんな不自由極まる軍事独裁政権を支持してしまうのか。それについては以前少しだけ書いたけど、今回もうちょっとつっこんでみたいと思う。そこに「自由」というものの本質が隠されているはずだからだ。なので、このエントリー、まだまだ続くよ!(@ディズニーチャンネル)

 ちなみに、ハイエクの『隷従への道』を愛読して首相になったサッチャーは、ピノチェトの死に「深い哀悼の意」を寄せたのだった。

隷従への道―全体主義と自由