ハイエクよりひと回り以上年上のケインズは一九四六年に早々と死んだ。六十二歳だった。ハイエクはそのあと、とっても長生きした。一九九一年まで生きてた。新聞で訃報に接したとき、「え、まだ生きてたのか」と驚いたのを憶えている。
世界は常に生者のものだ。時代はハイエクの方へとなびいた。去る者日々に疎し、ケインズ主義は葬り去られた。晩年のハイエクは余裕しゃくしゃくに「ケインズとの仲はそれほど悪かったわけじゃない。お互いに尊敬を持って接していたよ」と回想してみせたりした。よくもまあぬけぬけと。
ハイエクは勝利を宣言する。
…………(人口)の増加は急激なので、生産性への最高度の貢献を導きだすそのゲームをわれわれが最大限に利用して初めて、現在の人口と、将来予想される逆行不可能なさらなる人口増加を養うことができるのである…………
「どんなにあがいても人口は増える。増える人口を養うには自由主義経済しかない。人口が増えるかぎり自由主義は正しいのだ!」てわけ。
ほうほう。つまりこれ、ハイエクが主張する自由主義経済の「ゲーム」は、人口が増加するというゆるがしがたい現実があるからこそ、これを採用するしかないのだ、ということでもある。そりゃそんなことそんなにははっきりと言ってないけど、実際ハイエクの経済学説ってのは、人口が増加するか、少なくとも減らないことが前提になってる。
以前にもエントリーを書いたけど、だいたいの経済学ってのは、人口は増えるものだ、と考えてるので、もし減ってきたらどうすんの?というのがさっぱりなのだ。それはハイエクも例外ではない。
前回述べたように、出産も育児も「自然」に近いものであり、人間が「自由」(消極的な方ね)を希求するかぎりは、そこから離れようとするわけだ。
つまり、「自由」は人口を減らす。
社会が拡大し、人間が自然に直面することが少なくなればなるほど、そうなってくる。昔は、男だけがその「自由」を享受できる、てことにしてごまかしてたけど、文明が発達して、男女ともに自然から遠ざかれば、当然そういう傾向が出てくるのだ。
少子化の原因は、自由主義なのだ。
これを「行き過ぎた個人主義が〜」と言ってる人は、ちょっとはずしてる。赤点ギリギリ。
しかしまさか二十一世紀早々に人口が減り始める国家がでてくるとは、さすがのハイエクも予測できなかっただろう。
ところが、驚くべきことにハイエクはそれについてヒントを残している。ハイエクも自分でよくわかんないまま書いてると思われるとんでもない学説があって、おそらくはハイエクも予測できなかった人口減少下の経済をどのように考えたらいいのか、ということのヒントになっているのだ。
自分で自分が想像する以上の仕事をしてのける、これぞ天才と言うものでありましょう。ぱちぱち。
コメントをお書きください