昨日「文学の根本は怪談にある」と書いた。なんかちゃぶ台ひっくり返すようで申し訳ないけど、それを根本に持たない人もいる。
それが森鴎外だ。
「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的だ」というヘーゲルの言葉を鴎外が知っていたかどうかは定かではないが、鷗外の文学は隅々まで「理性」が満ちており、幽霊なんかどこにも居場所がない。
鷗外の小説、特に晩年のものなどを読むと、鉛でできた岩おこしでも食べているような、なんとも味気のない思いをする、そんな人が多いようだ。なかでも『伊沢蘭軒』『渋江抽斎』あたりは、森鴎外論を著しているような高名な文学者ですら、「あまりに退屈」とつい本音を漏らしてしまうくらいだ。
鷗外の小説は、どれも「家族」の物語だ。舞姫ですらそのように読める。そして家族の持つ強固な倫理が、社会との軋轢を生む。
しかし、そんなことなら珍しくもない。だいたいドラマというものは、おおよそが家族と社会の軋轢から生まれる。「義理と人情を量りにかけりゃ」というやつだ。そうした通常のドラマの視点から見ると、鷗外の小説はどれもこれも凡庸で退屈に見える。
鷗外の独自性は、その「よくあるドラマ」を飽くまで社会の側から見つめ、それらが社会の側にいるものの目にどのように映るか、ということを淡々と記していることだ。
しかもそこに、ノスタルジックな視点を持ち込んで読者の共感を貪る、というようなところがいっさいない。
そのようにして、まったく社会の側からのみ家族を見つめると、「家族」というものがいかに社会を揺るがすか、ということがわかる。
そうするために、鷗外は歴史小説のようなものを書きつつも、歴史上の偉人と呼ばれる人を題材にしなかったのだと思う。まったく無名ではないが、とりたてて共感をもたれない、尊敬などほとんどされない人を選んでいる。例外は『大塩平八郎』だが、鷗外が書くと、全然普通の人になってしまう。
そうして人を平板に書いた方が、社会の側からの「家族」の手触りがよくわかるからだ。
鷗外が書く「歴史」は、人々に大声で広く知らしめるものではなく、社会という理性の場から眺めた、家族という情念の変遷である。
そういうことがわかっていれば、『渋江抽斎』が退屈などということはもはや言えなくなるだろう。
このようにして書かれた「家族」は、社会にとって幽霊にほかならない。またもちゃぶ台をひっくり返すようだが、まったく「怪談」に寄らず、隅々まで理性によって「幽霊」を書く、ということが鷗外にはできたのだ。ここで鷗外が映してみせた「幽霊」は、昨日のエントリーでデリダが言った「幽霊」に限りなく近いと思う。
そしてさらに、このような小説を書き得た人は、私の知るかぎりではあるけれど、世界中に存在しない。
そしてまたさらに残念なことに、鷗外文学のそうした「幽霊」は、翻訳すると消え去ってしまうと思う。
鷗外はすごく家族を大事にする人だった。
若い頃はずいぶん遊んだし、舞姫を追い返したり一度離婚もしたりしているが、弟妹や子供たちの思い出話は、いかに鷗外が自分を甘やかしてくれたか、ということを競争で書いているように読める。
作家といえば家庭を顧みぬ火宅の人、というのが大正デモクラシー以降の通り相場となったが、鷗外はそういう意味でもまったく作家らしくなかった。
うーん、なんか自分の文章まで堅くなってる。鷗外恐るべし。
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