その光は顔を輝かせ衣服をも白くしたという

ペドロ・アルペ
 スペインはバスクの生まれ。1965から1983年まで修道会の長をつとめ、ラテン・アメリカにいたときは、多くの信者が左派へと転向した。彼の指導のもと、修道士たちはこのように宣言した。「正義を行い、声なき力なき連帯のもとへ」
 右翼の死の脅迫をものともせず、エルサルバドルの修道会支部を支えたが、最終的に六人が殺された。病に倒れ引退した時、教皇ヨハネ・パウロ二世は彼の後継者指名を無効とし、多くの修道士たちの反感を暗に代弁した。

クラウス・ルーメル
 著名な教育家で大学の学長。モンテッソーリ教育の擁護者であり、個々人の生まれつきの才能を引き出すことを目指した。上智大学理事長もつとめた。

ヒューゴー・エノミヤ・ラサール
 禅の瞑想の実践者で、禅僧でもあった。キリスト教の教えに禅を取り入れようとした。が、ヴァチカンは彼の出版を差し止めた。戦後、日本に帰化。

ヒューバート・シファー
 いっそう伝統的なカトリックの敬虔主義を唱え、主にロザリオで祈る運動を推進した。

 ……と、なんの講釈もなく四人の修道士を掲げてみました。

 彼らにはひとつの共通点があります。

 それは、一九四五年八月六日に広島にいた、ということ。

 

 戦時中の日本に修道院があったことについて意外と思う人もいるかもしれませんが、大日本帝国とバチカンの関係はそれほど悪いものではなかったのです。なんたって、満州帝国を真っ先に承認したのがバチカンだったし。(当時の教皇ピウス十二世については親ナチの噂もあったりする。もちろん否定する声が強い)

 

 そしてこの日、八月六日というのは、「主イエス変容の日」でもありまして、山上で三人の弟子(ペトロ、ヨハネ、ヤコブ)に説教していると、顔が光りだし、衣服が真っ白に輝いた、ということです。

 ちょうどこの一節を読んでいる最中に被爆した、という話もあったりしますが、さて……

 

 この四人の他にも修道士はいましたが、長命を得たのは彼らだけだったようです。

 元ネタはこれ

A deadly transfiguration

http://www.economist.com/blogs/erasmus/2013/08/jesuits-and-bomb-0

 八月六日に書けばいいエントリーだったのですが、六日は定休でしたし、

今日記事の存在に気づいたもので……申し訳ない。