子供の頃、「野菜」というものが食べられなかった。食卓の上にそれがあると、大げさでなく恐怖した。以下にそれらを口にせずに食事を終らせるか、というのが戦略上の大問題となっていた。
昔の野菜はとんでもなく自己主張が強かったように思う。タマネギを切れば隣の部屋にいても涙がこぼれ、ほうれん草はどれだけ灰汁抜きしてもむせ返るほどの 香りを保ち、ニンジンは龍角散より苦かった。ついでに、夏みかんはとんでもなくすっぱくて、大の大人も砂糖をつけて食べるのが普通 だった。
私は「すききらいのおおい子」として育ち、これから先の人生において、数千回の食事の度に数千通りの戦略を企てねばならないことを考えて暗澹としていた……。
が、しかし、それはまったく杞憂に過ぎなかった。今ではほとんど何でも食べられる。まあ、生のセロリという生物兵器を除いてだが。正確には酒を呑むよう になってから、自然と自分から口にするようになったのだ。その毒々しい紫を見ただけて震え上がった茄子すらも、今ではトマトソースにからめてパスタにかけ てたいらげてしまう。
これは中年以上の人のおおよそが感じていることだと思うが、最近の野菜は本当に食べやすくなった。品種改良のおかげなのだろうか。自然派の人たちにはまた別な意見がありそうだ。
そこに加えて、環境の変化、という要素もあるかも知れない。
野菜ではないけど、リンゴは環境の変化を受けて逆にまずく、甘くなくなっているそうだ。
Changes in the taste and textual atributes of apples in response to climate chane
http://www.nature.com/srep/2013/130815/srep02418/full/srep02418.html
どうやら、地球温暖化が進むにつれ、リンゴはどんどん旨味を失い、水気が少なくなっているらしい。
そうだ、野菜が食べられるようになったのと逆に、昔は大好きだったのにあまりおいしいと感じなくなったものもある。
トウモロコシとか、スイカとか、イチジクとか、柿とか。
どれも畑にあるのをとってきて食べたものばかりだ。
スイカの切り身(?)をスーパーで買ったりすると、何か自分がとんでもないことをしているような気さえする。
どこぞで最高気温の更新がなされ、それについて日本一を争ったりしているようだが、そんなことでほのぼのしていられるのも今のうちかも知れない。
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