語りえぬことだけど語りたいことについて少々

 藤圭子さんが亡くなりました。

 この人は演歌歌手というよりも、「昭和」という時代を背中に背負って歩いてたような印象があります。この人についてほとんど知らない私のような人間ですら、何事か発言したくなるのは、「また昭和が終わった」という、いったい何度終れば気がすむんだというくらいによく終る「昭和」に対して、またもや昭和が終了したことを確認しなければ気がすまない、という本能めいた衝動に突き動かされてしまうからです。時代というものは年表に太線で区切られるような、きっちり「終った」年があるわけではなく、こうやって何度も何度も何度も終っていくものなのですね。大正という時代が十五年かけて明治を終わらせたように、平成という時代もまた延々と昭和を終わらせてくれるのだ、と思います。もしかすると、平成は昭和を終わらせるために存在するのかも知れません。

 

 アイドル歌手が愛を語るようにして、広告代理店が時代を語っていた……私にとっての「昭和」というのはそういう時代でした。高度成長期の申し子なもんで。

 それ以前の人たちにとっては、世界へと繰り出す「正義」を信じ、その信じていた「正義」がごみくずだったことがわかってしまった、そんな時代でもあったでしょう。

 それと、数々の「伝説」や「神話」を生んだ、神世の世紀でもありました。平成になったら、これらも次々にごみくずになり果てましたが。あ、新幹線の安全神話はまだ生きてるか。

 そんな具合に個々の印象がありつつも、なんとなく全体の共通感覚として「時代」というものがあったわけですが、そんな「時代」というものが意味を持ち得たのは、昭和で最後になるような気がします。あの日、まだ総理じゃなかった小渕が寝起きのパグみたいな顔で「平成」の二文字を掲げた時、すでにそういう「手はず」が整っていたのかもしれません。だって、「平成時代」とか、「平成史」とか、なんか語呂が悪いでしょ。あんまり耳にしないし。時代というものの重みを取り去るために、「へーせー」という発音が選択されたのではないか、などと考えたりしてしまいます。

 そんな平成が二十年以上も続き、それに耐えかねたように藤圭子さんは亡くなりました、と。そして、どのようにして亡くなったかは問題ではなく、これは明らかに殺人事件であり、主犯は「時代」と考えるのがしっくり来る……というように表現するのもまた「昭和」的ですね。ちょっと全共闘世代っぽい。なにやらいろいろと大げさで肩に力の入った時代でありました。そうした時代を背負って歩いていたら、やりづらくてしょうがなかったでしょうな。

 

 以前エントリーで取り上げた『小澤征爾さんと、音楽について話をする』で、村上春樹と小澤征爾がちょっぴり藤圭子に触れた部分があるので抜き出してみます。

 

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小澤 ……ボストン時代に森進一を良く聴いたな。それから藤圭子。

村上 はあ。

小澤 あの二人はよかったね。

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村上 ぼくは学生時代、新宿の小さなレコード店でアルバイトをしていたんですが、そこに藤圭子さんが見えたことがあります。小柄な人で、服装も地味で、そんなに目立たなくて、「藤圭子です。私のレコードをよろしくお願いします」みたいなことを僕らに言って、にっこりして、頭を下げて帰っていきました。その頃はもう大スターだったんだけど、それでもそんな風にこつこつレコード店をまわってるんだなあと、深く感心したことを記憶しています。一九七〇年頃の話ですね。

小澤 そうそうちょうどその頃だ。森進一の『港町ブルース』とか、藤圭子の『夢は夜ひらく』とかね、カセットで持っていて、ボストンとタングルウッドの間を運転する時によくそれを聞いていました。

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 実は娘さんの曲すらよく知らない私でありますが、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)