『風立ちぬ』を観たので感想のようなものを書いておこう

 評判の『風立ちぬ』を観てきました。

 娘と二人で観たわけですが、果たして娘がこの映画を殿程度理解できたのか。「シベリアって何?」てなもんですから。

シベリア
シベリア

 その他にも「とりつけ騒ぎ」とか「計算尺」とかいろいろわからなかったようですが、まあ大丈夫、どうせ大人だって大部分は「よくわからん」と思ってんだから。

 

 宮崎駿は現代の日本で、いや、映画史上最も幸福な映画監督であります。なんたって作りたいように作って、それでもお客が詰めかけてくれるんですから。そして多くの観客が「えー、なんかよーわからん」と首をひねっても、全然問題にならない。なんとすばらしい。

 

 端的に言って、これは「エゴイズム」の映画ですね。

 この映画を観てから振り返ってみると、宮崎駿の作品は、ずーっと「エゴイズム」の問題が通奏低音として流れていたのがわかります。いろいろなファンタジーで覆い隠していたそれを、今回は臆面もなく表面に出してきた、ということでしょう。

「人間というのは矛盾した存在だ」ということの、その「矛盾」を剔抉してみれば、大もとは「エゴ」にいきつくということです。割と普遍的で昔からある問題ですが、映画でちゃんと取り上げられた人は少ないですね。だって、客が来なくなっちゃうもん。誰だってそんなイヤなもん見るのに金払いたくないですから。

 

「エゴ」というと「俺がオレが俺様が」というでかいだみ声を想像する方のほうが多いんじゃないかと思いますが、実はこの映画のような「エゴ」の方がずーっと普遍的だし、ずーっとずーーーっとやっかいなもんなんです。

「明日地球が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植えるだろう」

 とルターは言ったわけですが、このセリフに現れている「エゴ」が、この映画のテーマに類似していると思います。

 人間の「エゴ」がなんでやっかいかというと、それが世界の外にはみ出ている部分があるってことです。それは、理性とか悟性とか観念とか情熱とか、そういうものでもどうにもならないもので、ときには世界のすべてと対峙し、それを滅ぼそうが造りだそうが意に介さない、という怪物です。「矛盾」というお札をぺたりと貼って、大人しくしといてもらうしかしようのないものです。

 だから映画を観ていて「え?なんで?」という部分が多くあるのは当たりまえ。むしろこの映画のテーマは、観客に「え?なんで?」と感じさせてしまう部分に有るんですから。

「エゴ」がテーマになるのは文学ではよくあるのに、映画では少なく、アニメではおそらくこれが初めてでしょうから、この映画はまぎれもなく「文芸作品」と呼べるでしょう。

 そうそう、娘は主人公の「声」について不平を鳴らしていましたが、私は気になりませんでした。なんか「エヴァンゲリオン」の監督なんでしったっけ?エゴイストってのは、ああいう風に100%他人には「伝わらない」感じで喋るもんです。宮崎駿は、できることなら自分で声を当てたかったんじゃないの?と思いましたね。なんたって、宮崎駿自身が、とびっきりの掛け値なしの、エゴイストに他ならないんですから。

 あと蛇足ですが、この映画は『風立ちぬ』よりもむしろ、『菜穂子』が原作になってますな。奥さんの名前に借りてきただけではないようです。