どこまでいっても仮説でしかないのに確かなことのように信じられている妄説もしくは「自由ってなんて不自由なんだろう♪」シカゴボーイズ編

 えー、これの続き、というか逆の話。

 

 つい先日、キング牧師が中心となった「ワシントン大行進」五十周年を記念する式典がありました。

50th Anniversary March on Washington

http://50thanniversarymarchonwashington.com/

 ほんと、つい五十年前まで、アメリカではジム・クロウ法なんてのがあって、あからさまな人種差別が「合法的に」行われていたわけです。今だって全部解決してるわけじゃありませんけどね。

 ところで、この大行進の一年前、とあるロングセラーが産声を上げました。

 

 

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

 


『資本主義と自由』"Capitalism and Freedom"、ミルトン・フリードマンによるとーってもわかりやすい新自由主義経済思想の解説書です。私が生まれた年に刊行されたんですね。てことは、上祐@オウムや宮崎勤と同じか。ろくな年じゃねーな。

 で、この本について、下記のようなエントリーが書かれています。

 

Friedman on racial discrimination

http://understandingsociety.blogspot.jp/2013/08/friedman-on-racial-discrimination.html

 

 そう、まだ公民権法が制定される以前に書かれた上掲の本に、人種差別の解決法が書かれているんです。

 エントリー内の引用をちょっぴり超訳♡

 

「すでに見てきたように、自由市場ってのは関係ないもろもろから経済的な要素を切り出すんだ。前にもちょこっと触れたけど、パンを買う人は小麦を白人が作ったか黒人が作ったかなんて気にしない。キリスト教かユダヤ教徒かなんてのも同様。そんなふうに考えていくと、できるだけ効率的に作んなきゃなんない生産者は、人を雇うのに肌の色だの宗教だのにかまってらんないよね」

 

「差別する人はその分の値段を払ってるもんなんだ。なんつーか、「差別の結果」productに「金を払ってる」buyingんだよね。差別って他の「好み」tasteの問題と区別がつかないじゃん。もしある歌手に他のよりたくさんチップをやりたくなっても、それって差別ってことにならないわな。少なくともイヤじゃないでしょ。でも肌の色でチップに差を付けたらそれは差別になる。二つのケースの違いって、より好みか、そうでないか、てことだけじゃん」

 

 うわー、なんか高校生みたいな理屈だね。なので高校生みたいなしゃべりにしてみました。

 ブロガーはフリードマンに対して、「ジム・クロウ法が生きてる頃のシカゴにいるんだから、もっとお外に出て現実に触れたらよかったのに」という感じの皮肉を言ってます。

 フリードマンは差別を法律で規制するのはヒトラーがやったことの裏返しだ、てなことも言いました。これも高校生レベル。法律なんかで規制しなくても、自由にしとけば人間の合理的な「損得勘定」で、非合理的な「差別」なんか消えちゃうのさ、ってわけ。人間のバカさ加減を舐めてますね。

 自由経済がすべてを解決してくれるぜ!とか、そういうスーパーマンを夢見るような思考法は、小学校のうちに卒業しとくべきでした。

 とはいえ、いちおうフリードマンはこの本の中で「差別」を全面否定してみせています。でもその解決法が、人間の「合理性」にうったえるだけで、他のことはいっさ いしちゃダメとか、差別主義に対して何の効果もないどころか、差別に対抗する人たちを後から撃つような内容になってるわけです。困ったもんだ。

 

 なんで「自由」にとらわれるとこういう思考法になっちゃうのか、てのは以前ハイエクについてのエントリーで触れました。

 そんなこんなで、のちにフリードマンはピノチェトと仲良くなって、チリの経済を幼児が盛りつけたデコレーションケーキみたいにしちゃいます。つまりむちゃくちゃに。

 

 でもこの本、今も売れてんだよねえ……