『叙情日本大震災史』から抜き書き

 今日は「関東大震災史」九十年だそうで、新聞などで特集が組まれていますね。たまたま手元に『叙情日本大震災史』(大正十三年、帝国実業学会)がありますので、気になる部分を少し抜き書きしてみます。なお、仮名遣いは現代に改めておきます。

 

灰になった書籍幾百万 ーー神田の書店、古本屋全滅す

 神田区もまた和泉町佐久間町の一部及び松永町の一部を残してほとんど全滅した。最初、今川小路、錦町方面、三崎町方面お三手、太い火の柱が立ち、瞬く間に幾百書店軒を並べた猿楽町、神保町の通りを火の海と化し夕暮れまでには南は彫を越えて丸の内に入り(中略)こうして神田全区は四方八方から包まれてたちまちほしいままに猛火渦巻く巷と化した。

 (中略)

 さらに、もっとも遺憾だったのは、この国ほとんど集中した書店、古本屋街が全滅したことである。日本第一の大取次店東京堂も焼けた。大書店三省堂、富山房丸善の支店も焼けた。あの付近に散在する出版屋もことごとく焼けた。有名な古本屋街は神保町通りから九段にいたるまで全滅した。猿楽町の通りにあるものもむろん焼失した。

 恐らくこれらの取次店、出版屋、書店、古本屋の所蔵する新古の書籍合わせて数百万冊を越えたであろう。これを金に換算すれば数億の多きにのぼったであろう。東京市民の知識の庫、否、日本国民の知識の源泉が、一朝にして壊滅したのである。この損失は数十年を要しても、恢復しがたいであろう。まさに償い得ざる損失というべきである。痛恨の極みである。

(注:このあと、神田にあった書店のいくつかは、都下、多摩、地方へと散らばることとなる)

 

死線を越えて賀川豊彦氏の活動

 賀川豊彦氏は今度の震災に際し、死線を越えて江東方面に於ける基督教青年会の救援事業一切を引き受け、本所松倉町横川小学校前の焼け跡で天幕生活をしながら、付近のバラックに集まる細民を親しく指導する外、早朝から脚絆掛けでトラックに乗って、深川清住公園二千名、本所錦糸堀三十名、その他亀沢町の細民バラックを毎日歴訪して種々手厚い世話を焼き、その間にあって早大講堂で『苦難に対する態度』と題゙する一席の講演をしたり、さらに夜は天幕前に付近の罹災者を集めて精神講話をやるなど、大わらわになって活動ぶりを示していた。

 

顔さえ見れば『オイ義捐金』在米日本人会の活動

 京浜の大震災と聞いて在米各地に日本人会は一斉に連絡をとって大活動し、ロスアンゼルス市を中心とした約六十四の日本人会は三万五千名の会員に飛檄し金を集めにかかり、いやしくも日本人の顔さえ見れば路傍でもカフェーでも『おい義捐金を出せ』と滑稽なほど緊張して金品を集めたが、たちまちにしてロ市だけの邦人で十六万ドルその他一万二万と集まった。日ごろ邦人と見れば『エタ』と言っていた米人がことに教育に低い米人巡査や郵便配達夫にいたるまで日本人会を訪ね『お前たちの同胞はさぞ困ってるだろう』と一ドル二ドルと持ってきてくれたのには有難かった。

 殊に驚かされたのは桑港名代の排日屋で日本にも来たことのあるフィラン氏さえ巨額の義捐金を出したことである。十一月いっぱいの〆切り日までには邦人だけで百万円は立派に集まる予想だが全米の義捐金をあわせると少なくも一億円を突破する見込みで排日もドコかへ吹っ飛んだかたちだ。

(注:当時の米国では日系移民排斥の運動があった。結局翌年には排日移民法(ジョンソン=リード法)が制定される)

 

露国の救援とニーン号事件(注:レーニン号の誤植か)

 労農ロシアもまた急遽に救援に馳せ参じた一国である。震災の報モスコーに伝わるや外相チチエリン氏は日本政府並びに国民に対して公式の弔文を発するとともに浦潮に於いて能う限りの救援を講ぜよと命じた。外相のこの命令により救援隊、医師、看護婦及び各種の医薬材料給養品を積載した汽船レーニン号の日本派遣となった。

(中略)

 戒厳令を布かれたる地域の衛戍司令官は以上に鑑み上記の思想及び意向は『国家の安寧に危険なり』と認め断固として救援を拒絶しレニン号に退去を命じたので該船は九月十四日に横浜を出航した。

(注:社会主義者、無政府主義者の煽動が語られていたためだろう。このような空気の中で大杉栄が甘粕に殺されたわけだ)

 

 隣邦支那国民がその政治的不統一のうちにも日本救援のために一致団結した善隣的交誼は日本国民に力強い感銘を与えた。

(中略)

 曹錕、段祺瑞その他の名士はいずれも多額の義捐金に応じことに宣統皇帝は救済資金にとて現銀二万元と磁器三十点、真珠の珠子など価額十数万元に上る骨董品を日本公使館に送り御寄付遊ばされた。

(中略)

 とにかく支那官民の同情は特に深甚で上下挙って義捐金の募集に熱中し排日紙もしからざるも一様に同情的な論説を掲げ、ために一時猖獗を極めた排日運命もたちまち終熄するの現象を呈した。

(注:曹錕、段祺瑞ともに袁世凱と関わる軍人。宣統皇帝は有名なラストエンペラーだが、この当時厳密には皇帝ではなかったはず。骨董品を送るというのは、阪神淡路大震災のときに大量の掛け軸を送りつけた人がいた、という話を思い出させる。この翌年、クーデターにより紫禁城を追い出される)

 

明日、もう少し続けます。

 

叙情日本大震災史