ほめられたらうれしいだけじゃすまない話

「ブタもおだてりゃ木に登る」

 というのはあるアニメの定番文句だそうだが(ヤッターマン?だっけ?)、実際ほめ言葉というやつはニトログリセリンみたいなところがあって、薬にもなれば破壊的な爆薬にもなる。

 

 タキトゥスの『アグリコラ』に次のような記述がある。

 

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 さらにアグリコラは、酋長の子弟に教養学科を学ばせ、資性に磨きをかけ、「ブリタンニアの人たちの才能は、ガッリアの人たちの熱意よりも高く評価する」とおだてたものである。その結果、今までラテン語を拒否していた人まで、ローマの雄弁術を熱心に学び始めた。こんな風にして、ローマの服装すらも尊重されるようになり、市民服が流行した。そして次第に横道にそれだし、悪徳へと人を誘うもの、例えば、逍遥柱廊、浴場、優雅な饗宴に耽った。これを、何も知らない原住民は、文明開化と呼んでいたが、実は、奴隷化を示すひとつの特色でしかなかった。

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 アグリコラというのは実在したローマの軍人官僚で、ブリタンニアてのは今のイギリスの辺り。

 およそ「文明」と呼ばれるものは、やればやっただけ「ほめられる」機能を持つので、こうやって広まっていくわけだ。逆に「野蛮」と呼ばれるものは、外部をただ拒絶するので、さっぱり広がっていかない。アグリコラはその特性をよく知っていて利用した。

 ところでこの翻訳、ちょっと怪しい部分があるように思う。「逍遥柱廊」って何よ。柱廊をうろつきまわると、どこがどう「悪徳」なのか。これたぶん、「逍遥」は「逍遥学派」(アリストテレス)のことで、柱廊とはストア派なんじゃないのかな。もともと「ストアstoa」てのが柱廊の意味だし、柱廊をたまり場にしてたのでストア派と呼ばれるようになったんだから。で、この哲学がなんで「悪徳」かというと、この時期のローマ(A.D.60~80)では、哲学なんてのは若者がかかるびょーきみたいなもんで、とくにストア派なんてのは強硬な共和主義を主張する危険思想みたいな扱いだったのだ。(アウレリウスが皇帝になるのははもうちょいあと)

 いや、国原吉之助先生にけんかを売ろうとは思わないけど、どうなんだろうね。

 横道が長くなっちゃったけど、別に「文明開化」という言葉に引っかかって明治維新に想いをはせる必要はない。

 似たようなことは日本でも古くからあって、平安貴族なんかが武家を操るのに使った「位うち」なんてのもそれだろう。文字すらろくに読めない武家に、いきなり高い「位」を授けてやり、貴族たちの意のままにしてしまうのだ。武家の「野蛮」は貴族の「文明」にほめられると、ぐにゃぐにゃになってしまったわけだ。源頼朝は武家の棟梁ではあるが朝廷の内部にいたことがあるため、そのことをよく知っていたのだろう。配下の武将たちに「勝手に位をもらうんじゃねえ」ときつく戒めていた。それを破ったのが義経、てわけ。

 要するに、権力を持つ人間からの「おほめのことば」てのは、あんまりまともに受け止めない方が良い、ということだ。

 夏目漱石が博士号を嫌い、芥川龍之介が勲章を軽蔑し、内田百閒が芸術院を「いやだからいやだ」という理由で断ったのも、そうしたことを敏感に察していたからだろう。ただのひねくれや頑固やかっこつけではないが、ちゃんと説明しようとするといちいち面倒、ということだと思う。

 

 そしてまたさらに、タキトゥスはブリタンニアについてこう記す。

 

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 ……ブリタンニアときたら、われとわが奴隷生活を、毎日、お金を払って手に入れているのだ。その日、その日、われとわが身を養っている。

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 このように巧妙だったアグリコラとはどのような男だったか。

 アグリコラ自身は、権力の側からの「ほめ言葉」から、できるだけ身を避けていたようだ。

 

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 ……アグリコラは、従順において謹直に振る舞い、自画自賛において言葉を慎んだため、人々から嫉妬を受けたことはなかったし、それかといって、栄光をかくこともなかった。

…………

 名声といえば、誠実な人ですら、往々しして、これにあまくなるものであるが、アグリコラは、自分の優秀さを誇示することによって、あるいは、策を弄したりして、名声を求めたことはなかった。同僚との関係においては、競争心を遠ざけ、元首属吏に対しては、彼等とのいざこざから超然としていて、彼等に勝つことは名折れであり、彼等にかかずらって精神をすり減らすことは、けがらわしいと考えていた。

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 アグリコラAgricolaとはもともと農夫を意味する。若い頃農業に興味を持ち、それに熱を入れたためついたあだ名だ。彼はそのあだ名をそのまま家名として用いた。

 アグリコラはブリタンニアの民を耕し、ほめ言葉という肥料を撒いて、充分な収穫を得た、ということなのだろう。

 

 ところで、アグリコラはタキトゥスの妻の父、すなわち義父であって、ようするにこの本は身内「ほめ」なのだ。

 この伝記が書かれた時、アグリコラはすでに死んでいたが、生きていたらどう思っただろうか。

 

アグリコラの像
アグリコラの像

  蛇足として筆の勢いにのせて書いてしまうけど、ヘーゲルは『自然法』においてアグリコラについてふれているが、ブリタンニアでなくゲルマニア(ドイツを含む)を統治したとして語っている。おそらくタキトゥスの主著が『ゲルマーニア』であることから生じた勘違いだと思うが、訳者が気づいてないわけがないので、ちゃんと註釈でふれておいて欲しいものだと思う。

 あと、ヘーゲルは自分の記憶だけで書いているらしく、他の文献の引用でもいい加減なことが多いようだ。

自然法および国家法―『法の哲学』第二回講義録 1818/19 冬学期、ベルリン (阪南大学翻訳叢書)

自然法と国家学講義―ハイデルベルク大学1817・18年