「我亡き後に洪水よ来れ」Apès moi le déluge
マルクスが資本主義の本質であるとしたセリフです。
ポンパドゥール夫人が口にした、とされてますが、ルイ十五世が死ぬ間際に言ったという話もあります。まあ、当時の貴族の間の流行語だったんでしょうな。
で、ルイ十五世という人なんですが、フランス歴代国王の中でもっとも堕落していた、という評価が定まってます。
とんでもないすけべえで、ポンバドゥール夫人に鼻面引き回されただけでなく、変装して娼館通いまでしてました。娼婦が「王様だ」と感づくとアジール(当時精神がおかしくなった人を隔離しておいた場所)にたたきこんだそうです。そこでなら「私は王様と寝たのよ〜」と喚いても、誰も耳を貸しませんからね。
そのうちこそこそするのも面倒になって、ポンパドゥール夫人の敷地に娼館を立てさせてそこへ通いました。一時期は、「国王は処女の血の風呂につかるのがお好み」なんて噂がたったりしたんです。
あ、ついでに七年戦争に負けて国庫も破綻寸前でした。
さて、そんなダラダラ王のルイ十五世が、なんで「いとしの王様」Bien-Aiméなんて呼ばれるようになったのか。
それはこの王様が、消化器官が弱くて、しょっちゅう消化不良から来る高熱で苦しんでいたからです。
専横を極めた愛人シャトールー侯爵夫人を、他の王族たちがついに王宮から追放せしめんとしたとき、ぽんぽんがぱんぱんになったお熱でぶったおれた王様に「今死なれちゃ困る!」という気分が盛り上がりました。そこで消化不良で苦しむ王様への愛情が高まり、王の一命を助けんがため、辻つじに人々が集まって祈り、教会では神父が王の健康を祈祷したのでありました。そして「いとしの王様」は、国民的な人気者に……
なんやそれ、って感じですが、人気なんてそんなもんなんでしょうな。
ルイ十五世が他界した日、ヴォルテールは書簡にこう書き付けています。
…………
市場の作家のヴァデがクルティーユの居酒屋でルイ十五世に「いとしの王様」なる名前を献上した時に、いや実際、どの年鑑にも麗々しくその名前が使われていましたけれど、全てはシャトールー夫人を追い出すためだったのでしょうから、王としてはまずもって勅令を出すべきだったと私はつくづく思いますよ。そう、「かくも愚かなる国民は余にかくも美しい名前を付けてはならん」とね。
(一七七四年九月十四日リシュリュー公爵宛)
…………
そんなわけで、すけべで消化不良の王様は、やりたい放題やってフランスをぼろぼろにしたのに国民の歓呼の声をあびつつ死んだのでした。あとを継がされたルイ十六世は「おれ、きいてないよ〜」と言ってるうちに(ほんとに言ってたらしい)、革命という「洪水」に襲われて、首を落とされてしまったのでありました。
とっぺんぱらりんのぷう。
なお、以上の話からどのような寓意を引き出そうとも読者の勝手でありますので、筆者はいかなる責任も負うところではありません。あしからず。
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