9.11以降アメリカン・ヒーローが活躍するのはなんだろう?Part.2

Superman on 9.11
Superman on 9.11

 早いもんであれから十二年。浜のイトマキヒトデみたいに大の字で寝ていた娘も来年は受験だ。

 去年、「アウシュヴィッツ以後詩を書くのが野蛮なら9.11以後アメリカン・ヒーローが活躍するのは何だろう?」というエントリーを書いた。そしたら今年はスーパーマンの新作が公開された。いや、二〇〇六年にも作られたことは知ってるけどね。

 アメリカのヤフー質問箱には

Why didn't Superman stop 9/11?

http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20090528101110AADKJkQ

 なんて声もあったりする。回答者たちは小粋なジョークを返すこともできず、誰も彼も困惑しているようだ。そんな様子を見ても、ヒーローたちが現実のアメリカを救うのはもう限界なんじゃないかと思える。

 

 昔々、私が保育園で「くつがなる」をやけくそ気味に歌っていた頃、テレビでは「ウルトラマン」が大人気だった。当時同じ家にいた年若い叔父とよくいっしょに見ていた。

 叔父はウルトラマンを見ながら、ときどきこうつぶやいたものだった。

「なんで怪獣は日本ばっかりあらわれるんや……」

 幼い私はそんな根源的ツッコミなどものともせず、ウルトラマンに熱狂していた。そんな程度のことは、ときおりウルトラマンの背中に垣間見えるファスナーめいたものや、空飛ぶ戦闘機の下側(下側なんですよー)にきらきら光るピアノ線に比べれば、まったくささいなことだったからだ。

 極東の片隅の列島を守ることと、「地球を守る」ことがイコールになることの不可思議さなど、意識してはならない「お約束」のひとつでしかなかった。

 しかし、アメリカン・ヒーローの多くはその「お約束」から自由で、「アメリカを守ることは世界を守ること」すなわち「アメリカにとって良いことは世界にとっても良いこと」という価値観を体現していた。

 そんなヒーローたちは、9.11以降どんなふうに立ち位置が変化したのか。

 きっとアメリカ人たちも、ヒーローたちの物語を「お約束」として受け入れることを、学ばざるを得なかったのではないか。

 そしてそれは「アメリカにとって良いことは世界にとっても良いこと」を、「無邪気に」信じることができなくなる方向へと、人々の意識が少しづつ少しづつ変わることだったのではなかろうか。

 

 さて今回、「シリア爆撃反対」の声がアメリカでわき上がったのを見て、今さらスーパーマンを照れもなく作ってしまえるのは、もう「強いアメリカ」なんてフィクションでしかないとわきまえたのかな、とちょっとだけ期待することができた。ただ、こういう期待って、あとで裏切られることが多いんだけどね。

 なお、予告編を上に掲げたスーパーマンの新作だが、あんまり積極的には人助けをしないんだそうだ。やっぱりもう「ヒーロー」なんか時代遅れだよなー。

 

【追記】

米大統領:「世界の警察官」否定

http://mainichi.jp/select/news/20130911k0000e030181000c.html

>シリア問題に関する10日のテレビ演説で、「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」

 

 だそうだ。

 今日「この日」に否定してみせたわけだが、まだシリア爆撃には含みをもたせているようだ。