さあ老人になりなさい

 現在四人に一人が六十五歳以上だそうだ。団塊の世代がそこに達したからで、予想されていたこととはいえ、実際にそうなってみるとぎょっとさせられる。

 すでに「天命を知る」私だが、今でもバスで席をゆずることがある。そのくらい「人生の先輩方」が多いのだ。川島雄三の映画じゃないが、「あとがつかえてる」ように感じてしまう。しかし、その「あと」がまたぐんぐん減っている、というのが実情だ。

 

 さて、ここで高齢化についてあれこれ言おうと思わない。近々私もお仲間に入る予定だし。ただ、年を取って気づいたことがあるので、それをここに記しておこうと思う。といっても、一日一日を大切にとか、相田みつおが書き付けそうな文句を垂れ流すつもりはない。「ああ、このことが若い頃に分かっていればなあ」と今にして思う事柄だ。

 だいたい中年以上に「若返りたいと思いますか?」ときくと、「今までの経験や知見を失わずになれるのなら」と答える。みんながそう思っているのだ。

「あーあ、若い頃はバカだったな。どのくらいバカかというと、自分が心底バカだということに気づかないくらい。バカだと気づいたフリをして自分で自身を騙し、実は自分はバカじゃないんだと心の底で思っているくらいにバカだった」

 だらだら書いてしまったけど、まあだいたいこんな感じ。

 

 じゃあ年を取ればバカじゃなくなるかというとさにあらず。あらためて自分がバカだと気づくのだ。だからものを「知る」ときにいらだたない。自分がバカだと分かっているので、わからないことには素直に「わからない」と謙虚になれる。

 若いときは「知る」ことについいらだってしまう。「ちくしょう、なんでこんあこと知らなきゃならないんだ」「結局誰かさんがえらそうにしたいだけじゃねえの?」「そんなの知ってて何かメリットあんの?」などなど。

 このいらだちがどこからくるかというと、「若さ」からくる。正確には「若さを失うことの怖れ」からくる。光陰矢の如く歳月人を俟たないので、人は容赦なく年を取らされる。それに抵抗しようとすると、「知る」ことについて「若さ」を失う契機を見るようになってしまうのだ。

 なんでかっていうと、「若さ」って「バカさ」と癒着してるから。

 バカなこと、バカなままでいられることは「若さ」の特権でもあるので、新たな事柄を「知る」ことは、「若さ」を捨てることになるような気がするのだ。ぜんぜん錯覚なんだけどね。加齢が容赦ないように、若者は容赦なく「若い」んだから、いらだつことなくどんどん「知る」ことをつみかさねればいいのに。

 

 ……とまあ、以上のことについて、だいたい人は年を取ってから気がつく。というか、気がつくと年を取っている。だからときどき見かねて説教したくなるわけだが、どうせ逆効果にしかならないのでなるべく黙るようにしている。

 黙っているだけならいいが、タチの悪いのは「呪い」をかける。

 呪いの呪文はこうだ。

 

「いやあ、若いっていいねえ。うらやましいよ」

 

 これが呪いだと気づく頃には、血圧だの体脂肪だのが容赦ない現実を突きつけてきたりする。やれやれ。

 おそらく、世の中でそれなりの功績を上げている人は、若い時分にそれとなく上記のことに気づいていたのではないだろうか。

 なので、若さなんてものはどんどん失うつもりで、いろいろなことを「知る」ことができていたなら、もうちょっと自分もどうにかなっていたんじゃないのかなあ、と後悔する敬老の日なのであったのだった。

 

 そうそう、ヘーゲルの若き日のあだ名は「老いぼれ」だったそうだ。

 

若大将50年!

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コメント: 1
  • #1

    Lesli Cowgill (金曜日, 03 2月 2017 09:54)


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