「またその話?」をしてしまうのはどんな時

「年寄りは同じ話ばかりしたがる」というのはよく言われるけど、なんでそういうことになるかというと、年寄りはもう成長しないから。もう少しちゃんというと、成長をあきらめてるから。

 別に年寄りじゃなくても、酔うと必ず同じ話をする人なんかも同様。

 ただ、話す相手が代わった場合は別。言うまでもない。

 

 とまあ、わかっちゃいるけど同じ話をしてしまう。この話は前に話した時ウケたから、夢よもう一度とばかりに話してしまう。年寄りだけじゃない、ウチの娘だって若いくせにちょくちょく同じ話をする。こっちはウケをとるんじゃなくて、親の小言から逃れるためにする。そうそう同じ手が通用するか、あほ。

 

「歴史は繰り返す。最初は悲劇として、次に喜劇として」てのは有名すぎるマルクスのセリフだけど、社会が変化を厭い、成長を嫌う時こういうことが起こるようだ。成長を嫌うとか考えられない、という人もいるかも知れないけど、経済的な成長じゃなくて、社会的に成熟する方の成長ね。

 本当は繰返しちゃならないものを無理に繰返すから、悲劇が起こり、その次はもっと悲惨な事態になる。ああいや、喜劇だっけか。でもこの場合の喜劇って、対岸にいる人たちから指差されて笑われるだけで、繰り返してる方はとんでもない目にあってることが多いんだよね。でも端から見てるぶんには笑える。

「昔はよかった」というのが年寄りの定番文句だけど、じゃあ昔に戻ればばんばんざいだから昔に戻ろう、なんてことをするとそれこそ「喜劇」にしかならない。

 なんか微妙に抽象的になってるけど、具体的に書くと以前書いたことの繰返しになるので書かない。書いた方がいいかも知れないけど、やめておく。なんというか、年寄りが自分で(ああまた同じ話をしてるな、わし。いかんな。でもニコニコして聞いてくれてるからいいか)と内心思いながら同じ話をしているような、原発の安全神話を信じていられた時代に戻れるなんて、ほんとは誰も思ってやしないのに、なんかやれそうだからそうしようとしているみたいな、そんな感じか。あれ?やめておくとか言って書いちゃったな。

 そんな「喜劇的状況」を揶揄されて、抗議したら「風刺だよ」と言い返される。そりゃ、ずいぶん下品なことを書くなあとも思うけど、英仏やアメリカの風刺って毒があるのが当たりまえで、かなりどぎつい表現も平気だからね。

 今や、他人のおならを笑ってたら自分がうんこもらしちゃって「いや、パンツからはみ出てないから!」と強がってるみたいなことになってるわけで、笑うなって方が無理だわな。本人はたいへんだけどね。もし別な国が同様なことをしたら、日本人だって大いに笑いものにするでしょ。ただし、もっと陰微でいやらしい表現だろうけど。

 

 年寄りが同じ話を繰返すのは、もう成長によって失敗を乗り越えることができないからだ。失敗から目をそらすために、同じ話をする。それは昔の話で、たいてい自分に都合良く改竄されている。その話をしている間だけは、それ以降の失敗を忘れてもう一度やり直せる気分に浸れるからだ。

 

忘却の整理学